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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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「筑波通信№6 後半, あとがき」 1981年8月 

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(「筑波通信№6 前半より」続く)

 

 いったい。「公共」とは何なのか。

 「公共」施設、「公共」投資、「公共」の福祉、「公共」の利益・・・・微妙に意味が違うようだ。唯一共通していること、それは、ひびきがいいということだ。字づらからしてなにか「みんなのもの」というような甘いひびきがある。みんな、自分も「みんな」のうちに含まれているかのような幻想をもつ、そういうことばだ。

 しかし、この「みんな」のなかみを考えだすと、とたんにそれはあやふやになる。私に言わせれば、これは極めていいかげんで、それ故また極めて危険なことばである。それが甘いひびきをともなうが故に、なおさらそう思う。

  先日、行政マンと話をする機会があった。住民参加の行政、それが「公共」のためだと考えているという。ただ、多様の住民の意向のなかから「どうやって最大公約数を決めるか」それが問題なのだという。これは一見したところ、良心的なやりかたに見えるだろう。しかし、つまるところこの場合、「公共」とは人々の「最大公約数」だということだ。そこで単純に、「最大公約数」なのだから人々の共通の最低の意向がくまれている、などとよろこんではいけない。最大公約数ということばは、もののたとえにすぎず、人々の意向なるものは、「数」みたいに割り切って考えられはしないのだ。二人の意向を足して2で割ったら平均値になった、なんてことがあり得ないようにあり得ない。建築の世界で「公共建築」という言いかたがある。この意味は、「不特定多数」の人々が利用する建築:学校、病院、図書館‥‥つまり「公共」が利用する建築のことだ。「不特定多数」という言いかたは、個人対応の建築は特定の個人を対象とするが、「公共建築」の利用者は特定できない多数である、そういう見かたからでてくる言いかたである。つまり、この見かたでは、「公共」とは、特定できない大勢の人たちということになる。

 だから、公共建築の研究者たちは、大抵のっけから、その利用者を「群れ」として扱うことが多い。いろんな人がいて、つまり特定できないから、個々の人につきあえない、群れとしてしか見ることができないというわけだ。かくして、人々は「群」としてひとまとめに括られる。統計的に処理される。そこでは、「個人」は消去される。先の「最大公約数」の発想も、構造は基本的にこれと同じである。いずれにしろ、公共を考えるために、「個々人」は消去される。されねばならない。

 そしていま、仮に「公共」=不特定多数の「意向」が定まったとしよう。「公共の論理」が定まった。そうなると、いま大抵その「公共の論理」は(その成りたった過程を離れ)自立性を確立してしまう。簡単に言えば、「公共の論理」が「個人」を越え、「個人」を支配する、つまり「個人の論理」より上位のものとして機能するもののように、あたりまえのように、扱われてしまうということだ。なぜか。おそらくきっと、こういう答が返ってくるはずだ。公共、つまり不特定多数の人々とは、個人の集合であり、その集合から抽出したのが、この「公共の論理」である。故に、個人は公共に包含される、と。

 しかし、それはうそだ。論理のすりかえである。この「公共」理論では、「公共の論理」が「個人」より上位にたつというときになって初めて「個人」が顔を出すのが特徴だ。そのときまで、「個人」は消去され、不特定多数として扱われていたのではなかったか。

  「公共」という言葉が危険な言葉だと私が言うのはこのためなのだ。それが、「個人」を左右し支配するのに極めて有効に機能するのが、目に見えるようだからだ。先の新幹線の騒音問題の例のように、既にそのようになっている。「公共」が「個人」に優先するというのである。

 先きごろの教科書問題が世をにぎわしていたとき、批判派の人たちが、「公共の福祉」をもっと前面に押しだして書かれるべきだと言っているという新聞の見出しを読んで、一瞬とまどった。そんなはずはない彼らがそういうことを言うわけがない、福祉は金がかかりすぎると言っているのに、どうしてか。そうではないのである。記事を読んで納得した。原子力発電とか工業立地とか色々の「公共」投資に対して反対が多い(ためにことが運ばない)が、それは「公共」の利益つまりは「公共の福祉」に反することだ、この「公共の福祉」が(個人よりも先ず)大事であるということを、もっと前面に出して書<べきだ、というのであった。

  あるいは、事態はもうここまで来ていると言った方がよいのかもしれない。

  いま、ひょいと、この「公共」の文字のところを「国家」あるいは「お国」の文字に置き替えたとしよう。直ちに分ることだが、そのまま通用する。論理の構造は何も変ってないのである。36年前そのものだ。いずれの場合をとっても(つまり文字がどうあれ)、「個人」を支配する、あるいは、「個人」が自らを殺して従わねばならないより上位の概念・論理がある、という発想であることに何ら変りがない。

  怖いのは、いまのそれが、「公共」というなんとなく甘いひびきの言葉を使っていることだ。「公共」=「みんな」、この錯覚を巧みにあやつれば、なんでもできてしまう。

  「みんな」の利益になるのに、なぜあなたは反対するのか、ということは、あなたは「みんな」でない、「みんな」の一員でない、「みんな」の利益になることに賛成すれば、あなたも「みんな」になれる。この全くの逆転した(というかめちゃくちゃな)論理!に、大抵のあなたはびびってしまうのだ。なんのことはない、反対するのは、あるいは批判するのは「国賊」だ、というのと、いったいどこが変っていよう。「民主主義」というもの、敗戦を契機に獲得した「民主主義」というのは、こんなことだったのか。私には、とても信じられない。

  私の民主主義、私の自分で身につけたと思っている民主主義では、いかなる場合でも、「個人」は消えることはない。「個人」を認めないものは、私にとって民主主義ではない。だから、たとえば、「個人」の集まりを「不特定多数」で処理して済ますなどという考えは、それこそまさに、「個人」より上位の概念としての「公共」があるという考えをバックアップするようなものだ、いやことによると、もともとそういう考えだからこそ「不特定多数」がでてくるのだ、そのように私は思う。

  私には、「個人」のいない「公共」など全く思いも及ばないのである。いま、「公共」は、実体のないひびきだけよい「ことば」になってしまっている、むしろ、言うならば一種の「操作用用語」となってしまっているように、私には思える。

  このような「公共」「個人」の変な関係は、日本独特のものなのだろうと思う。いま、この「公共」と、それに対応すると思われるpublicについて、辞書は何と説明しているか、まるのまま転載すると次のようだ。

 

    

因みに「公」の字のもともとの意は、つつぬけである、つまり、閉じていない(open)ということの象形なのだそうである。

 彼我の差歴然たるものがあると思うのは私だけであろうか。我が日本において「公共」とは、社会一般であると同時に即「政府」「お上」なのだ。当の「お上」も、また「下じも」も、そう思ってきた、それが辞書の説明となって現われている、そう見てよいだろう。だから、普通publicを「公共」と訳して済ましてきているけれども、原文において「個人」が(あたりまえなこととして)生きていたものが、日本語になったとたん、ことによると(あるいはきっと)「個人」はどこかへ吹きとんでしまう、つまり、まるっきり意味が違って読まれてしまう可能性が強い。(こういう例は、前にちょっと書いたけれども、文明開化以来、非常に多いはずである。「地方」とloca lの例もその一例だ。)

 (もしかすると)日本人は、その長い習慣から、個人を越えた上位に、頼るべきよすがを欲しがる性向があり、そういう「お上のいうこと」にすなおに従う癖から、36年もたってもまだ、披けきれていないのかもしれない。

 しかしながら、辞書にも「公」は「私」と対をなすとある如く、「公」と「私」あるいは「個」は、それを正当に対置して初めて、そのそれぞれの意味が明らかになるはずで、そうせずに、どちらか一方のみでことが処理されるとき、事態がおかしなことになる。とりわけ、「私」の係わりないところで生まれた、得体の知れない「公」に「私」が押しつぶされるのは、全く許しがたいことだと私は思う。

  それゆえ、現実に目に見えた形となって現われてくるところの「私」たちの心情を逆なでするような諸々の(人為的)現象に対して異議をさしはさむのはもちろんであるが、むしろ、そういった現象の拠ってきたるものの見かた、考えかたに対して、より強く異議をとなえ続けたいと私は思う。それが、おそらく、私たちの世代の役目なのではなかろうか。

  私は、あの8月15日前の状況が何であるか、体でそれを感じたわけではない。それには幼なすぎた。しかし、いかなる理由があろうとも、あの8月15日以前には戻りたくないし、また決して戻したくないと思う。なぜなら、私は、私の身につけた民主主義は決し誤っていないと思うし、そして、それがきらいではないからだ。

あとがき 

 〇いまこの号は、八ヶ岳を目の前にして書いている。大分かすんでいる。秋から冬あるいは冬から春、それも朝か夕がたがほんとはいい。そういう山をみていると、山をみているようで、みている自分がそれに対置されてみえてくるような、なにかそんなこわい感じがしてくることがある。(こういうときのみるは、どの漢字をあてたらよいのだろうか。) そして、私のようにときおりではなく、いつも山に囲まれている人たちはいまどうなのか、一度尋ねてみたい気がする。

〇この8月15日、諏訪湖の花火を観に行った。ちょうど満月。盆地を囲む山々の稜線が、そこだけ月あかりに照らされ淡く輝きあとは空に溶けこんでいた。もう秋である。花火は壮観であった。ずしんと体にこたえるあの音、これがないと花火ではないのだが、あのシュルシュルという音とともに、それはどうしても高射砲と艦載機の機銃の音を思いださせ、慣れるまで、どうもいけなかった(東京の防空ごうにもぐっていたころのことだ)。こういうちょっとした光景や音、ときにはにおいまでも、それは突然忘れていた昔の一瞬の情最を頭のすみから掘りおこす。

 建物づくりや町づくりというのは、本質的に、いつの日にかこういう具合に掘りおこされる情景の根となるものをつくっているのだということに、気がつかなければならないと思う。

〇こんな内容の文を書きつつ、一方で私は車の利便に酔って?いる。車に限らず、諸々の近代「文明」のもとで暮している。それを統御しているのか、それに統御されているのか。

〇それぞれなりのご活躍を祈る。

                                            下山 眞司


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