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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の紹介-34

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文言補訂[14.41]
Late medieval roof construction

屋根の架構法は、既に存在しない場合や近付くことも不能な場所にあっても、中世建築で元の姿を推測できる唯一の部位と言ってよい。何故なら、当初の形状を、繋梁に穿ってある栓の孔や枘(ほぞ)孔などから推測できる事例が多いからである。そのような調査から、いくつかの家屋では全く知られていなかった屋根を備えていたことが分ってきた。中世の構築技術の進展は、家屋の形式で論じられることが多いが、同様に屋根の架構法の観点で考究することができる。たとえば、地域分布状況からの考究、それぞれの家屋形式で常用される屋根架構法の観点からの検討などである。全容を捉えることが大事で、部分の様態だけからの分析は好ましくないのである。

Crown-post roofs

Crown-post を用いる屋根は、イギリス中に分布しているけれども、15世紀から16世紀の初期にかけて、北東部で最盛期に達している。ケント地域の調査では、1370年以降と見なされる事例の75%、448例中337例が Crown-post 工法に拠る屋根であった。
   註 Crown-post 工法については、このシリーズの「-16」を参照ください。
     そこに掲載の解説図 fig42 を再掲します。図の b がCrown-postです。
     合掌の頂部をを承けるのが king-post または king struts それより下部の collar:首回りに設ける繋梁を承ける方法をCrown-postと呼ぶようです。
     その場合、合掌を構成する二面の垂木:rafterは、棟部分で相互を組み合わせ固定しているものと考えられます。
     collar:首回りに設ける繋梁は、大きい合掌のとき、合掌材:垂木・rafter の内側への撓みを防ぐために創案されものと思われます。
     結果として、合掌はAの字形になり安定します。
     おそらく、collar は当初、各合掌ごとに設けられたと考えられますが、数本おきに設け相互を中央部に設けた横材:桁で結ぶようになったのではないか。
     そのとき、更に、この横材とcollar:首回りに設ける繋梁とを梁からの束柱で承けて安定を強化しようとしたのが、Crown-post と考えられます。
        
下の table2 は、14世紀後期以降建設の木造遺構の、屋根の工法別の年代ごとの分布状況を示した表である。そのいくつかの年代判定は、推量に拠るもの。

表で分るように、14世紀後期では、全体の92%の屋根がCrown-post工法であるが、それより以降では、 collar-rafter 工法の増加や side purlin の採用によって、Crown-postは、時とともに、83%、84%、72%と漸次減少してゆき、16世紀前半に至って、54%へと激減する。最も後期の住居の事例は、1548年建設の PLAXTOL の BARTONS FARMHOUSE の二階建の hall に設けられている例であるが、横材に対して二方向の斜材だけのきわめて単純な形である(この事例の 図、写真がないので詳細不明)。
15世紀後期になって side purlin :側面に設ける母屋 が導入されるまで、open hall 上の屋根を端正にすることを望む人びとは Crown-post を採用したのである。
たとえば、屋根の架構形式が記録されている WEALDEN 形式の家屋127事例中、Crown-post 工法以外の屋根は僅か3例に過ぎない。そして、その全ては、side purlin 形式の屋根である。それゆえ、全体的に、最も後期の WEALDEN 形式の家屋では、各種の屋根架構法が可能になっても Crown-post を採用し続けたのである。もちろん、Crown-post工法は、他の形式の家屋にも見られる。
   side purlin :purlin は、母屋と訳される。一般に母屋は rafter :垂木を承ける材と考えられるが、この場合は、後項に説明があるが、垂木の側面に添えて、
   垂木相互の「暴れ」を防止する役割を担う補足材と解する。
下の table 3 は、 cross-wing の75%、end jetties 及び各種形式複合家屋の60%以上が Crown-post であることを示している。しかしながら、Crown-post が、WEALDEN 形式 では最も多く、次に cross-wing で多いという事実は、15世紀を通して、人びとにとって、Crown-post 工法の採用がごく普通のことであったことを示唆している。

ケント地域には、大きな、つくりが丁寧な、そしてイギリスでよく知られた木造建物が多いが、それらはいずれも、必ずしも「装飾」が際立っているわけではない。それゆえ、中世後期の装飾の多い SUFFOLK 地域(イギリス東部の州)の建物との同一視は誤りであり、SUSSEX 地域(イギリス南東部)の事例に比べても簡素である。Crown-post の採用への人びとの関心について、この観点を忘れて論じられなければなるまい。
Crown-post の装飾は、一般に、頂部と底盤部の柱と斜材に、できるだけ簡素に補足的に施されている。1500年頃、大きく最高のつくりの木造家屋を建てた人びとのなかには、より装飾的な屋根を望み、ケントでは一般的ではなかった新しい形式の屋根も採用する人びとも少なくなかった。しかし、全般的に見れば、Crown-post は、ケント地域の人びと一般に幅広く受け入れられた形式・工法であったと言えるだろう。

Crown-post が用いられた約200~250年の間、架構技術上おそび装飾の面での変化・展開は微々たるものであった。付録1 の年輪時代判定法による分析事例が示しているように、後期建設とされる事例と初期のそれとを分別することは容易ではない。というのも、そこに示される各種の様態から、 Crown-post は、当時の木造建築一般に見られる工法であったからである。
13世紀後期から14世紀初頭にかけて、木材を細く小割にするのでなく比較的太い材で用いる傾向がみられる。14世紀のCrown-post は、fig84(下掲) で分るように collar :首部分の繋梁 と collar purlin :繫梁を結ぶ横材(母屋桁) への斜材の断面がほとんど正方形であることに示されている。

しかし、15世紀中期になると、薄く板状:長方形断面に変ってくる。14世紀には、斜材が fig 80a 、fig 81a (下に再掲)のように、soulace を支えていることがあり、更に伸ばしてcollar を越えて rafter まで伸びていることさえある。soulace は、15世紀初頭には用いられなくなるが、fig84g のように、1500年代の丁寧なつくりには再び用いられるようになる。
   soulace : rafter と collar を結ぶ斜材の呼称と解します。この材を支える「意味」は何なのか、力の流れはどうなるのか、考えてしまいます。
頂部と底盤部の装飾の変遷は目立つものではなく、区分・分類も至難である。その事例の幾つかを fig84、fig151、fig152 に紹介してあるが、付録1で詳説する。




16世紀になると、屋根架構を格好良く見せることには人びとの関心がなくなり、Crown-post も単純な細身の束柱となり、ときには brace :斜材も設けなくなってくる。
前にも触れたが、ケント地域の人びとは、保守的な気風で、長きにわたり Crown-post にこだわり続けたのである。その結果、架構法の改良などには無関心で、時代を画するような新たな工法をつくりだすこともなかったのである。
                                                              この節 了            ************************************************************************************************************
次回は、 Collar-rafter roofs 他 の節になります。

読後の感想
「合掌」架構への、彼の国の人びとの「執念」とでも言える「こだわり」に、驚嘆せざるを得ません。
ふと思います。彼の国の人びとからは、日本の屋根架構法:束立組は、いったいどのように見えるのでしょうか。

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