ブルーベリーの花が咲いてます。例年より少し早い。
相変らず一時間に数回、かなりの揺れが続いているようです。気が休まらないと思います。
TVで報じられる様子を見ていて、いろいろ思うことがあります。そのいくつかを書いてみようと思います。
いろいろな専門家が、いろいろと話されています。その中には、私には「?」と思わざるを得ない話が多々ありました。
その一つは「科学的根拠が、あるかないか」というある「専門家」の「発言」です。
それは、今回の地震の震源に近い「川内(せんだい)原発」の稼働を停止を求める各界からの「見解」に対し、「『科学的根拠のない』稼働停止の要請」には、全く応じられない」という原子力規制委員会、委員長の発言です。
この「発言」に違和感を抱いたのは、私だけでしょうか。
新聞等の解説によると、今回「川内原発」が受けた地震の揺れは、「川内原発」の「設計基準」としている地震の揺れの大きさの数分の一に過ぎないから問題はない、ということのようです。つまり、「想定内であったから、支障は生じていないはずだ」ということなのでしょう。
そこに、「稼働停止を求める見解」との決定的な相違点があるのです。
稼働停止を求める見解は、「想定外の事態」が起きることを危惧しているのに対し、
委員長は、現在の「科学・技術」に想定外はない、現在の「科学・技術」においては、森羅万象全て想定範囲内である、と言っているに等しいからです。
言わば、現代の科学・技術に不可能はないということに等しい。
ゆえに、彼らは、「絶対に安全」を「技術」が保証できる」という、とんでもない《信念》を持ってしまっているのです。
いったい、そのような《信念》を抱ける、森羅万象全てが想定内であると言い切れる、その「科学的根拠」は何なのでしょうか。
私には、これは、近・現代の「理工系」の「専門家」にありがちな奢りにしか見えません。
先に紹介した「復刻・筑波通信-3」の中で、私は、「絶対的安全を技術は保証できない」と書いています。おそらく、その当時の(理工系の)「風潮」を危ぶんでいたからなのでしょう。
あれから40年近く過ぎます。「理工系」の方がたの「発想」は、今も変らないのです。むしろ更に凝固し、硬化著しい、そのように私には思えます。
私は、この世は、人智の及ばない事象に満ち溢れている、今でもそう思っています。それが「森羅万象」の実相ではないでしょうか。