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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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敗戦記念日

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[ web 版 リンク追加 17日8.20]

68年前の8月15日、私は、疎開先の山梨県竜王町にいました。甲府盆地の西端に在る町です。暑かったです。

私と同じく、68年前8歳であった方が、終戦ではなく敗戦と言うべきだ、と新聞に投稿されていました。
先日紹介した毎日新聞コラム「発信箱」に、「・・・言葉には霊力が宿り、その言葉通りのことが起きる[という]日本古来の伝統が、原発事故以降、頭の片隅にひっかかっている。・・・」という一節がありました。
その「伝統」を、戦時中、為政者は「為に」使ってきたように思います。戦時中、耳にしたのは「神国日本」、危急の場合には「神風」が吹くと喧伝し、挙句の果ては特攻隊を神風に仕立て上げようとした・・・。
そして今、そういう時代を懐かしい、あるいは望ましい、その時代に戻りたい、と思う人が、特に政治家に、増えているようです。その「気分」は、「原発再稼働」を望む「方向」に連なります。まさに、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」です。

過去の事象が、いかなる意味を持つか、その認識を欠いたまま平然として、明日を迎える、これが習慣化しているように思います。「歴史」認識の欠落。「歴史」を「過去の栄光」とだけ見做し、「意味」を考えない人たちが増えているのかもしれません。
   教育の場面で、「歴史」教科を単なる「暗記科目」に貶めてきた「結果」かもしれません。

今日の毎日新聞に、同じ敗戦国であるドイツが戦後に執った行動が紹介されていました。ドイツの新聞記者へのインタビュー記事です。
その「行動」を知って、日本が未だに原発に依存しようと画策しているとき、何故ドイツが福島原発事故後、即刻「脱原発」に舵を切ったのか、その理由もよく分りました。
ドイツの為政者は(そして人びとも)、「ことの本質」から目を背けることをしないのです。
一方日本の為政者は、「本質」から目を背け、美辞麗句でごまかそうとする・・・。人びとは・・・?
特に、4段目のドイツと日本の「戦後処理」の相違点は注目してよいと思います。
ドイツの人びとは、「のど元を過ぎても熱さを忘れない」のです。一方日本は・・・ひたすら時の過ぎゆくのを待つ。人のうわさも75日・・・・。

全文を転載させていただきますが、コピーなので、読みにくいかもしれません。
web 版「そこが聞きたい」でも読めます。[追加17日 8.20]



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