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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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この国を・・・43 : 続「偽計」

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[遠し番号訂正]
涼しくなってきました。
週末、二日かけて、空地に生い茂った、暑い間放置し背丈が1mを越えた草刈りをしました。草に埋もれていたムラサキシキブは、だいぶ色づき始めていました(下の写真)。ハギも咲きだしています。暑かった分、秋の深まりが早いのかもしれません。

草のなかに、クサハギが可憐な花をつけていました。ほんとは、この花を撮ろうとしたのですが、一日遅れたら、もう終わっていました!
この草は繁茂力が強く、毎年面積が増えています。花はきれいなのですが、結構やっかいものです・・・(3?ほどのハート形が数珠つなぎになった種は、衣類に着いたら、なかなか取れません)。
   クサハギは、本名は、地面を這うように生えるゆえでしょうかシバハギといい、ヌスビトハギ科という恐ろしげな名の科に属するそうです。



2020年のオリンピックは東京開催になった。
わが首相は、IOC委員および海外メディアを前に、「状況はコントロールされている」「汚染水の影響は福島第1原発の港湾内0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」と語った、と報じられています。
少なくとも、日本国内でこういう「断言」は為し得ないはず。
なぜなら、日本の人びとの多くは、「収束」「とりあえずは安全だ」などの言葉で、何度も「だまされてきた」、そこから、それらの言の裏側に隠されている「事実」を知る知恵を身に着けています。ゆえに、そんなことは「公言」できない。つまり首相のこの「言」は、オリンピック誘致の「偽計」のための「虚言」なのです。それを「平然と」言える、この方の精神構造を疑いたくなります。そして、メディアもそれを「自信を持って」追及しない。

だいたい、コントロールされていないから汚染水が漏れているのであって、その漏れもコントロールされているとは言い難いのは周知の事実。何をコントロールしているのか、意味不明。
港湾内でブロックされている、というのも、どのようにブロックされているのか、実証・確認されてはいないのです。今朝の毎日新聞によれば、東電の幹部さえも首をひねって、政府に問い合わせ中、と報じています。
だいたい、港外の海水の放射能は薄められている・・というのは、かつての「公害」企業の言い分と何ら変わっていません。

招致委員長だったかの「東京は福島から250km離れているから安全だ」、という発言もありました。
この「発言」に対しての、福島から避難している方が、TVで「福島と東京は、『国』が違うんですね」と語っていたのが印象に残っています。メディアの「生温さ」よりも、的を射ている、と思いました。
そして、それを聞いて、私は小説「吉里吉里人」を思い起こしていました。
もうだいぶ前から、東北は、というより東北にかぎらず、『中央』から離れた地域(通常『地方』と呼ばれます)の人びとは、そういう「思い」を強く抱いているのです。実際、東北の震災被害さえも、「復興」の美名のもとで、「中央」の人びとの「金儲け」のネタになっている・・・。たとえば、高さ15mほどの防潮堤を、全海岸に築くという馬鹿げたハナシを「真面目に」やっている・・・。そりゃ金儲けにはなるでしょう。しかしそこには、そこに暮す人びとの姿が全く見えない!
   「地方」と「中央」という言葉づかいについて、以前に「山手線は local 線だ・・・・『地方』とlocal」で触れています。

7年後、2020年、福島の「廃炉」工事は、緒についているかどうかさえ分りません。これが「コントロール」の姿。

予告:「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介について

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今朝、刈り残しの草の中に、クサハギの一叢を見つけましたので、早速写真を撮りました。
他の草に交じっているので見分けがつきにくいかもしれません。全容と花のクローズアップです。




さて、落ち着いてきましたので、
先に紹介させていただいた齋藤兵次郎著「日本家屋構造・上巻:構造編」に引き続き、
「日本家屋構造・中巻:製図編」を紹介させていただくことにします。
明治37年刊の「木造家屋・建築」についての教科書です。
  なお、「製図」には「設計」の意も含まれているようです。
現在と比べながら見てみたいと考えています。
編集に時間をいただく関係で、週に1回、あるいは10日に1回ぐらいの掲載になるかと思います。

   「日本家屋構造」がいかなる書であるかは、「日本家屋構造の紹介−1」をご覧ください。

「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介−1

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「構造編」のタイトルを継続使用します。

紹介に入る前に
ここしばらく、このブログに、「日本家屋」の「各部の名称」や「各部の構造」(「つくりかた」か?)を調べるために(?)寄られる方が大勢居られます。建築系の学校で夏休みの宿題でも出されたのかな、などと訝っています。
そして、この「現象」を見るにつけ、「日本家屋構造・上巻」を紹介する際に、先ずはじめに書いておくべきことがあった、とあらためて思いましたので、遅まきながら、中巻を紹介するにあたって書いておくことにします。

それは、「日本家屋構造」を「教科書」として「日本の家屋・建築」について学ぼうとした人びと、つまり学生たちが生きていた社会が、どういう社会であったか、ということについてです。
一言でいえば、この「教科書」に取り上げられている各種の「事例」は、明治年間には、どの地域でも普通に見られる「事例」であった、つまり、学生たちは、各部の「名称」や「構造」は知らなくても、そこに載っている「事例」の存在をよく知っていた、決して珍しいものではなかったのです。
さらに言えば、学生たちの身の回りには、江戸時代に建てられた家屋はもとより、それ以前に建てられた例も、数は少ないとはいえ、あったはずです。大げさに言えば、身の回りに古今の建物が、重層的に蓄積され、存在していたのです(それが、人の暮す「家並」「街並」の本来の姿なのです)。
    この書の事例に違和感なく接することができるのは、
    かつて、「文化度の高い:cultivated な地域」(後註参照)で暮していた、ある年代より上の方がたか、
    現在、「文化度の高い:cultivated な地域」にお住いの方がた
    そして、そういう場所で暮してはいないが、そのような地域やそこにある建物群を意識的に観てきた方がた、
    に限られるのではないでしょうか。

では、今、この書のなかみに触れる若い方がたはどうでしょうか?
おそらく、そこに載っている各種の図面は、身の回りで見たことがない事例についての図がほとんどでしょう。
もちろん、どの地域に住まわれているかによって異なります。
しかし、少なくとも大都会では、身の回りには見かけることはなく、博物館か郷土資料館にでも行かなければ見ることもできないでしょう(それさえもかなわないかもしれません)。
つまり、身の回りで目にすることとは関係ないため、見ても実感がともなわないのです。

都市化の進んだ地域の若い方がたが身の回りで目にするもの、それは住宅メーカーのつくる建物であり、たまに「木造家屋」があっても、それは、現行の法規に拠った「かつての日本家屋、日本建築とは(意図的に)縁を切ったつくりの建物」。まして、古今の建物が目の前に実在するなどということはまずない。目にする事例すべてが、前代と断絶している。
   千葉県・佐倉にある「歴史民俗博物館」はお勧めです。「家屋」だけではなく「古建築」全般にわたり知ることができます(大縮尺の模型も多数あります)。

しかし、幸いなことに、大都会を離れれば、あるいは、「都市化・近代化に遅れたとされる」地域に行けば、古今の断絶を感じないで済む地域がまだ多数残っています。そういう地域に住まわれている方がたは、明治の若者と同じく、この書の内容に違和感を感じることはないはずです。
   私は、大都会を離れ、「都市化・近代化に遅れたとされる」地域を「文化度の高い:cultivated な地域」と考えています。

   逆に、都市化の進んだ地域、たとえば、東京の「発展地」:「地価の高騰地域」は、「文化度が低い」と見なします。
   なぜなら、そこで目にする建物は、その多くが、「根無し」。
     ・・・・・
     (われわれを取り囲むのは)まがいものの建築、すなわち模倣、すなわち虚偽(Sham Architecture;i.e.,imitation;i.e.,lying)」(i.e.=that is:すなわち)・・・・
     「われわれも両親も祖父母も、かつてなかったような忌むべき環境(surroundings)に生活してきた。・・・・
     虚偽が法則(rule)となり、真実(truth)は例外となっている。・・・・
   これは、19世紀末のヨーロッパの建築についてのオランダの建築家ベルラーヘが語った言葉です(「まがいもの・模倣・虚偽からの脱却」参照)。
   今の日本の都会はまさにこの姿に重なります。
 
   もちろん、「文化度の高い:cultivated な地域」は、大都会・東京でも皆無ではありません。
   根岸や谷中のあたりにゆけば、体験することができます。そのほかにも点在してはいます。

そして、「日本家屋」の「各部の名称」や「各部の構造」を学びたいのであれば、先ず、そういう地域・場所へ出向き、実際の事例を観察するのが必須ではないか、とも考えます。
いったい、目の前の建物は、どうしてこのような「平面」になっているのか、「形」になっているのか、・・・・そして、いったいどのような手順でつくるのか、・・・・その場で観ながら考える。「名称」を知るのは、それからでも遅くはないのではないでしょうか。
   もしも、「各部の名称を調べてこい」、などという「宿題」が出されていたとするならば、それは、「教育」として間違っている、と私は思います。
なんなら、「対象」を写生:スケッチし(写真ではダメ)、それを持って、図書館、博物館、資料館を訪ね、書物を紐解いたり、あるいは学芸員や司書に教えを乞う、これが最高の「学習」ではないか、と私は考えます。大工さんに訊けたら最高ですね!

   書物を読んで集めただけの「知識」は「知恵」にならない、と思っています。サンテグジュペリならずとも、それでは「辞書」と同じだ!
       ・・・・
      私が山と言うとき、私の言葉は、
      茨で身を切り裂き、断崖を転落し、岩にとりついて汗にぬれ、その花を摘み、
      そしてついに、絶頂の吹きさらしで息をついたおまえに対してのみ、
      山を言葉で示し得るのだ。
      言葉で示すことは把握することではない。
      ・・・・      
      ・・・・
      言葉で指し示すことを教えるよりも、
      把握することを教える方が、はるかに重要なのだ。
      ものをつかみとらえる操作のしかたを教える方が重要なのだ。
      おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、
      それが私にとってなんの意味があろう?それなら辞書と同様である。
      ・・・・         サン・テグジュペリ「城砦」(みすず書房)より

   写真ではなぜダメか。それは、「対象」を観ないからです。ファインダーを見ているだけになるからです。


前置きが長くなりました。以下、「日本家屋構造・中巻・製図編」の紹介に入ります。

     **********************************************************

「目次」は以下の通り。


この書で言う「製図」は、「設計」という意味も含まれています。
それについて触れているのが、「一 総論」です。以下が原文です。



字が小さく、文体も現在と異なりますので読みにくいと思います。
そこで、現在の文体で、私なりに読み下すことにします。

一 総論
人が家屋を構造する(構築する、つくる)のは、単に雨露を防ぐためではなく、宝貨什器(家財)を保護し、生活を愉快に送れるようにするためである。
愉快の感を得るのは、経済的堅牢的要素よりも、衛生便利に適合する家屋に於いてである。
建物が如何に壮麗であっても、不便利で採光換気が当を得ていなければ、快楽を感じることはあり得ない。

家屋を建設しようとするには、これらの点に留意し、先ず、建設地の地質の良否、辺景(周辺の景観・環境)の如何、採光・換気、間取りから給排水に至るまで切に研究すべきである。

〇地質
高燥(こうそう:高地で湿気の少ない)で砂層の土地は、住家に適する。
かつての池沼が埋没した低地や両側を丘陵に挟まれた一帯の低地、その他一般に低地で粘土質の土地は健康に適さない。
低地は悪水(あくすい:飲用など利用に適さない水)が滞留しやすく、しかも粘土質の土は熱を吸収することが少なく、湿気を吸収しやすく、重さで百分の二に達することもある。
ゆえに、粘土質の地は寒く湿気も多いが、砂層の地は暖かく湿気も少ない。
   註 高燥な砂層の土地 おそらく、関西地方の真砂(まさ):花崗岩の砕けた砂の地質:をイメージしているのでは?
              しかし、東京をはじめ関東地方は火山灰:ローム:で覆われていて砂層の場所は少ない。
      粘土質の土地    真砂やロームでも、微細になって堆積し水分と圧力が加われば粘土質の土壌になる。

     江戸末には、比高の高い地区は大半が居住地になっていた。それゆえ、明治になり、都市へ集まりだした人びとが選べる場所は、低地しかなかった。
     この解説は、そういう状況を踏まえて、家屋は、比高の高い場所に建てるのが望ましく、低地、池沼の埋立などもってのほか、と説いていると考えてよい。

     現代は、このような「常識」も失われてしまったようです(液状化現象の多発した新興住宅地は、池沼、海岸埋立地が多い)。
〇辺景
土地を自由に選択できる所ならば人造的(人工的)風致をつくることも可能ではある。
しかし、周囲に在る天然の風景をいかに利用するかは建築設計者の責務である。
眺望が広々とひらけ、新鮮な空気を存分に吸い精神を爽快にすることほど愉快なことはない。これこそ、住まいをつくることの目的(の一つ)である。
しかし、市中の商賈(しょうこ:商人)の町のように、常に塵埃を生じ、あるいは高い建物で光線を遮られるような場所に住戸をつくらざるを得ない場合は、窓や間取りを工夫し、空気の流通を完全にし、なるべく多くの光線を採りいれるようなつくりかたを考えなければならない。
  
   註 建設地の気候や風向きに応じて新鮮な空気と陽光を採りいれることが重大留意点であることは、基本的に、現在でも変らないはずである。
     今は、それらをすべて「機械的に」処理しようとする。室内を閉め切り常時機械換気をせよ、などという恐るべき発想の法規まである・・・。
     現在の教科書なら、「省エネ」「断熱」・・などが説かれるところだろう・・・。

   
〇方位
我が国は、全般に、夏季は東南風、冬季は北西風が多いが、地域によっては山脈の方向、海岸線の如何によって風向きは異なる。また、気候寒熱の度合いに応じて家屋の位置・方向を異にすべきである。
我が国のような温暖な地域では大差はないけれども、家屋の位置如何により、不都合が生じることがあるので、位置を慎重に選択して、風の向きによる室内空気の流通に配慮し、樹木を植えるなど夏時に襲来する暴風のための防備を設けることも肝要である。
   註 建設地の風向きの特徴は、周辺の既存集落の様態(防風林の位置、建物の建て方、・・など)から知ることができる。

〇間取り
住家の内部は、一つの都市のようなものである。
都市には、公共の性質を有する建物、個人に属する建物、公共の道路、公園があるごとく、住家に於いても、応接室、客間、階段、廊下、便所などの他人が入ることはもちろん、装飾などを施して来客を歓迎する趣向を為す場所がある一方、居間、台所、押入、物置などのように、外来者の入ることを許さない性質の場所もある。
しかし、宏廈(こうか:広く大きな住家)に於いて完全に室を配置しようとすると数十種の室を要するだろう。
しかし、現今の中等以上の住家の場合は、玄関、脱帽室、応接室、客間、次の間、主人居間、次の間、主婦居間、次の間、寝間、老人室(としよりのま)、仏間、茶の間、子供部屋、書斎、書生室、下女部屋、下男室、台所、湯殿、便所、物置、土蔵、などを要するだろう。
ただし、これは家族数により斟酌すべきことで、別冊参考図を参照のこと。
   註 別冊参考図とは「日本家屋構造・下巻・図面編」を指しています。
     下巻に所載の各様の「住家平面図」は、分量の関係で、後日紹介させていただくことにします。

     「住家の内部は尚一都市におけるか如し・・・」という言は、現在の「住居論」「建築計画学」・・などでも語られない見かたではないでしょうか。
     ただ、それが、なぜ、「表座敷主体」の間取りに連なるのか、分りません。
     あるいは、旧東京駅のつくりに表れているように、都市に対する見かたもこれに似ていたのかもしれません。

     また、
     ここにいう「居間」は、現在の意味と多少異なります。「主人居間」「主婦居間」:主人、主婦が普段いる部屋・・・・、
     現在の居間に相当するのは、「茶の間」か。

     この説明および以下の各室の説明は、中等以上の武家住宅を下敷きにしていた当時の(中等の)住家の様態と思われます。
     武家住宅、とりわけ中等以上の場合、「家」意識はあっても、「家族」の意識は薄かったと考えられます。
     なお、武家住宅で、「家族」が普段どこにいたのか:「家族の居間」がどこであったのか、よく分りません。ご存知の方、ご教示ください。

以下、各室について

「玄関」
玄関は、家屋正面に位して、衆目の集注し、その品格を表す所なので、不体裁なく、厳粛に構えることが求められる。その方位(向き)は、東南あるいは東方が良いが北に向うのも良いとされる。

「客間」
客間は賓客をここに誘い(いざない)、談話応接し、あるいは饗宴などに使用する一種の表座敷とし、家屋の中で最も肝要な室であるから、空気の流通をよくし、方位を選び、辺景を利用し、内部に(床の間、違い棚などの)装飾を施し、前面に庭園を設けるのを常とする。その方位は南面するを良しとする。
ただ、南面すると、客に植物の裏を観せることになるので北面にするのが良い、という説もあるが、客の来訪時間は不定であり、北面する客間は陰気になってかえって客に不快感を抱かせることの方が多いだろう。
装飾は、床の間、違い棚には、掛物、花瓶、香箱、置物などを陳列し、欄間には彫刻を施し、書院を設け、その障子は美術的障子組子にする・・など。
   註 ここでの「書院」は「付書院」のこと。

「次の間」
次の間は、主要な室に連なり、平時は襖をもって仕切り、宴会など多人数が集まるとき、襖を取り払い一広間とする場合の備える。「二の間」「三の間」などを設ける場合もある。また、襖に描かれる絵画の名をとって室名にすることもある。
   註 これは、「書院造」、「客殿」を下敷きにした様態である。

「書斎」
書斎は閑静な所で、東あるいは東南が良い。

「台所」
台所は、食物を調理する場所なので、清潔にして、下婢(かひ:下女)の働くのに便利な位置がよく、採光、換気に留意する。
北向きは冬季寒冷で日航が直射することがないので、板の間などの湿気が乾きにくい。西向きは日光の直射が強く、夏時は調理用火気とあいまち炎熱堪えがたく、食物の腐敗も早まる。

「廊下」など
廊下は、通風採光十分にして、来客が通行の際、家人の様子がのぞかれないように心して、最も便利な位置に設ける。
湯殿、便所は清潔を旨とする所であるので、なるべく座敷より見えない場所とする。特に便所は、庇屋づくりとする。
土蔵は本屋と離す。
縁側は交通用のみならず、雨天のときは子どもの遊び場になることもあり、東南向きに設けるのが良い。
縁側の幅は、普通3尺であるが、中等以上の住家では、4尺以上6尺ぐらいとすべきである。

以上は、間取りを考える上の留意点を、ごく簡単にまとめたものである。詳細は、図で別途詳しく説明する(⇒「下巻」)。
なお、古来、丑寅の間(俗に鬼門と称す)を忌み、窓、便所などを設けず、壁あるいは押入とする習慣がある。これは疑問がある説であるが、そのような言い伝えがあるということだけは記しておく。
                                        〈「総論」の章終り〉

     **********************************************************

      間取りについての書物は、各時代に、いろいろと出ています。この書を読んで、思わず読み比べてみたくなりました。
      そして、新聞の折り込み広告で見る「間取り」を見るにつけ、いったい今、住居について、学校でどのように教えられているのかも知りたくなりました。

次回は、「二 製図の準備」「三 住家を建設せんとするとき要する図面」の章を紹介します。

「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介−2 : 「二 製図の準備」

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今回は「二 製図の準備」の章を紹介します(「三 住家を建設せんとするとき要する図面」は、次回にいたします)。
[図版を大きくしました。27日9.30AM]

はじめに、この書が刊行された時代の「製図」「設計図」について、あらかじめ説明しておきます。
おそらく、明治年間から昭和の初期に至る間、「設計図」というのは、世界で唯一のもの、世界に一部しか存在しないものであった、と考えてよいと思います。
この時期には、現在のような複写機はもちろん、青写真の機械も存在しなかったからです。
したがって、描かれた設計図は、世界にたった一部。

それゆえ、職方は、自分の職分に関わる必要事項を、そのただ一部の設計図から自ら読み取り自分用のメモを作成し仕事にあたったと考えてよいでしょう。
大工さんなら「矩計:柱杖(はしらづえ)」や「平面を要約した板図(いたづ)」です。
もちろん、これも手描きです。
   青写真の機械はたぶん1920〜30年代に一般化したのではないかと思います。
   リコピーが代名詞になった湿式複写機が普及し始めたのは、私が学生のころ1960年代です。
   ゼロックスに代表される電子コピーは、1970年代以降でしょう。
   したがって、複写機が一般に普及するまでは、いわば「写本」の時代だったのです。
   私は、この時代の仕事の質の高さは、「手描きの写本:写図」だったからではないか、と考えています。
   「手書きで写す作業」を通じて、携わる仕事の内容の隅々まで精通することになるからです。
     今は何部でもコピー、プリントアウトできます。修正、加筆も容易です。
     それが当たり前の今、ことによると、写本・写図なんて、なんてムダなことをしていたんだ、と思われる方が多いかもしれません。
     しかし、そうではなかったのです(私は、今の方が、折角の頭脳を使わず、その意味でムダが多いのではないか、と思っています)。
     また、設計者は、世界に唯一の設計図作成のために、周到な準備を重ねました。それを示しているのが、アアルトの多数のスケッチなのです。
     

以下は、そういう時代の、たった一部の「設計図」を作成する「製図」である、という視点でお読みください。

   なお、柱杖、尺杖については、「『日本家屋構造』の紹介−6」で触れています。
   また、その際、文化財修復技術者から貴重なコメントをいただいておりますので、下に転載いたします。
      かつて、民家建築の解体をする前に、修復家が大工さんに命じたのは、「すべての矩計と、柱間を尺杖に写せ」ということでした。
      計画と実際の施工とは誤差があるので、誤差を含んだ数値を生け捕りにしておかなければ、組み立てるときに色々と面倒になるからでしょう。
      たとえば、新築なら柱を先に加工してから敷居鴨居の仕口は柱の歪み(かゆみ)をヒカリ付けて加工しますが、
      古建築の場合先に敷居と鴨居の仕口が決まっています。
      厳密に測ると、敷居と鴨居の胴付長さは結構違っているものです。
      柱を垂直に直して建ててしまうと、仕口が合わなくなる箇所が多々出てまいります。

      私は古井家住宅を担当された修復家に尺杖の大切さを教えていただきましたが、
      今、この尺杖をつかって施工するということが全く忘れ去られています。
      プレカット時代には必要なくなったのでしょうか。

     **********************************************************

 
最初に原本を載せます。





以下、現在の文体で読み下します。

二 製図の準備

製図に用いる道具は、なるべく精製品:念入りにつくられた品(粗製品の対):を選ぶ。廉価なものでは精密な図は到底描くことは難しい。
製図道具を購入するにあたっては、次に挙げる品々は特に精選が必要である。

「両脚器(コンパス)」
長さ4寸ぐらいのもので、鉛筆と烏口(からすぐち)を差し替えられるものとする。烏口については後記。

「螺旋両脚器(スプリング コンパス)」
鉛筆と烏口付との二種類が必要で、両脚器(コンパス)の使えない精細な個所を描くときに使用する。
   註 コンパスの脚の開きをネジで調節するコンパスを言う。開きを固定することができる。

「烏口(からす ぐち)」
鉛筆による下描きに墨入れをするときに用いる用具。掃除、研磨に都合がよい蝶番(ちょう つがい)付が望ましい。
   註 烏口を使ったことのある方は、今では少数派だと思いますので、簡単に説明します。
      現在の烏口は、下の写真のように先端に爪状の2枚の刃が固定されており(外側が爪状、内側は平面)、刃の間隔:線の幅はネジで調節できる。
      2枚の刃先を横から見た形状が烏の嘴に似ていることからの命名と思われる。
      刃の間に墨汁あるいはインクを含ませ、写真のように線を引く。使い方についての本書の説明、後記。
     
      
      
      刃の先端は、常に砥石で鋭利に研いでおく(基本的に、外側の爪形の方を研ぐ)。鋭利なほど、線も鋭利になる。
       紙に、刃によって二本の切線が刻まれ、その間に墨(またはインク)が収まるからである。
       上の写真は刃を研がずに描いているので、線が鈍い。

「三角定規」
45度および60度の二種を用意する。市販品は一般に桜製だが、梨製が歪みが少なく最もよい。
エボナイト製(通称ゴム製)は、塵埃が付着し図面を汚すので、好ましくない。
   註 エボナイト:硬質ゴム。電気の絶縁材料、櫛・万年筆などに使われた。黒色。
      私が子どもの頃に使ったのはセルロイド製だった。
      学生時代以降使っているのは、合成樹脂(アクリルなど)製。
        合成樹脂製には、鋳型でつくる、樹脂板を切削加工する、の二種類あるようです。前者が精度がいい。

「丁定規」
丁の形をした定規で、長さは、冒頭に掲げた図のように、画板の長さにほぼ同じとする。材質は三角定規と同じ。

「画板」:製図板
長さ2尺7寸、幅2尺、暑さ8分の檜板で、時日の経過による反りや歪みを避けるために、背面および側面(木口)に欅、樫などの堅木を蟻差しとする。
   註 大きさは一回り大きかったが、学生時代の製図室の製図板がこれであった。板は、数枚の矧ぎ合わせだった。

     冒頭の図の製図板下部の脚状の材が説明文にある「蟻差し」で、通常は、板と同材。これは「吸付桟(すいつきざん)」を兼ねる。
     板の端部も文中の「蟻差し」で、一般には「端食み(はしばみ)(「端嵌め(はしばめ)の訛り)」と呼ぶ。
     「吸付桟」「端食み」は、いずれも、板の反りを防ぐ手法。

「鉛筆」
鉛筆は種類が多いが、製図用としては、H、HH(ニエッチ)、HB印を使う。
H、HHは、墨仕上げをする場合の下描き用に用い、HBは、H、HHよりもやや柔らかく、鉛筆仕上げの際に使う。
H印はその数が多いほど固く、B印はその逆に柔らかさを増す。
鉛筆の先端の削り方は、錐のごとく尖らすよりも鑿の刃のごとく削り、特に細線を要するときは、刃の角(かど)で引く。なお、先が磨滅したときは、一々ナイフを用いず「木賊(とくさ)」あるいは「細末の砂紙(紙やすり)」を木片に貼付けおき、その面上で先を研ぐと便利である。
   註 木賊:とくさ:砥草。
      「鉛筆削り」などない時代である。
      私たちは、反古にしたトレペ:トレーシングペーパーを使っていました。

「雲形定規」
コンパスで描けない弧線:曲線を描くときに用いる道具。その形状、大きさは数種類ある。屈曲の多い品を選ぶとよい。

「製図紙」
用紙は硬質で、ゴム切れ(消しゴムのこと)で擦っても、その痕跡を止めず(消しゴムを使っても、紙が毛羽立たない、という意と解す)、また絵具を用いても汚れないこと(滲んだりしないこと、の意と解す)が求められる。
舶来の紙には製造者の名を記した「すかし」が入っている。
用紙は、その四隅を「留め針」(止め針:画鋲のこと)で製図板に留めるが、精確を期するにはこれだけでは十分ではなく、海綿あるいは清潔な刷毛で紙面を十分に潤した後、四周に糊を塗り製図板に張付け、乾いた後使用すると全面が堅く張って皺などが生じることもなく、極めて使いやすい(いわゆる「水張り」の説明)。
   註 製図用紙は、一般に「ケント紙」と呼ばれる「硬質上質紙」が使われました。
      ケントはイギリスの地名。手漉きの紙の産地。その地域産の硬質紙:製図に適した紙を「ケント紙」と呼んだことから、「製図用紙の代名詞」に。
      製図には「トレーシングペーパー」も使われました。
      複写機にかけるためではなく、字の通り、トレースする(元図の上に敷き元図を写す:トレースする)際に使われました。
      厚手のトレーシングペーパーは彩色もできます。
      トレーシングペーパーには、和紙製もあります(堅牢で折畳みができ、折り目が目立たない)。
         洋紙のトレーシングペーパーは折ると折り目・筋がつきます。

      「水張り」は、少なくとも建築の世界では、現在、まず見られないと思われます。もちろん、CADの世界では無縁のはず。

「墨」
墨は上級の品、硯は緻密な石質のものを選ぶこと。さらに、得られた墨汁は、極めて薄い和紙で漉すのがよい。
一時に多量の墨汁をつくり置いて使うことは、彩色の際に墨の線が滲むことがあるので、するべきではない。
   
「尺度」(「ものさし」のルビが降ってあるので「物指」:スケールの意)
「物指」は、竹製で、「厘」の位まで表示のあるものを用いる。
   註 当時は、いまの「三角スケール」などはなかった。
製図上、寸法を測るには、一々コンパスを用い、「物指」を直接紙面に当てて測ることはしてはならない。
   註 このような場合に使う用具として、別途、コンパスの両脚が針になっている「ディヴァイダー」がある。
       私は滅多に使わなかった。
以上の他に、「羽箒(はね ぼうき)」「ナイフ」「文鎮」なども用意する。

製図に着手するには、描こうとする物体によって異なるが、多くの場合は、先ず、物体の中央線を見出し、大体の外囲(外形の意と解す)を定め、次いで細部へと進む手順を踏む。
定規の使い方は、丁定規の「丁」部を製図板の左側面に当て、左手で随意に上下して水平線を引き、三角定規を丁定規の上端に当て左右に滑らせ垂直線を引く。

図面に墨入れを行うには、製図紙の一端を細く切り、墨を付け烏口(の刃先)に含ませ、定規に沿い烏口を直立にし、両刃先が正しく紙に触れるようにして線を引く。そのとき、烏口を定規に押し付けてはならない。
烏口を引こうとするよりも、むしろ烏口に引かれる、という気持ちが望ましい。
弧線と直線を接合するときは、弧線を先に描き、直線をそれに継ぎ合わせる。
   註 現在は墨入れを行うことは少ない。
      今、若い方がたにとって、製図板、丁定規、三角定規などは、建築士試験の「設計製図受験用」のための道具になっているらしい。    
      これらの用具を常用している人は、今や少数派かもしれません。

      烏口による墨入れ図面は、たとえば四角形の隅部分を直角に書き込むことが比較的容易である。
      烏口で描くと、2本の切線(溝)が隅部で交叉し、そこにできる切線に囲まれた正方形内に墨が埋まるからである。ただし、コツの習得が必要。
      そこで、線を若干線の終点を越えて描き、終点の個所で線が十文字に交叉するようにする方法をとることが多い。
      こうすると、錯覚で隅部が切れのいい直角に見えるようになる。昔の図面にもこれが多い。
      鉛筆で描く場合にも、私は、この方法を採ってきた。終点で鉛筆を止めてしまうと、角が丸く見え、鈍い図になる。
      ロットリングで代表される「製図用ペン」で描くときも同じである。
        CADの図面が「キレが悪く、甘く、メリハリがない」理由の一つは、線が終点で止まり、角が「丸面取り」状になるからである。[文言更改]  

「着色」
墨入れの終わった図面には、使う材料を一目瞭然で分るように、材料別に着彩する。その際、同一の材料でも、切断図(断面)と姿図では、色彩を異にする。一般に使われる色彩は、次に掲げるとおりである。着彩は水彩で、色名は洋名で記す。いずれも文房具店で市販されている。
   洋名のあとに、和名を記します。それぞれの色合いは、水彩絵具のカラーチャートでお確かめください。
〇木材 姿 図:ガンボージ gamboge 藤黄(とうおう)、雌黄(しおう)日本画で使う黄色の一。
     切断図:ガンボージにクリムソンレーキ crimson lake 深紅色を少々加える。
〇石  姿 図:インヂゴ indigo 藍色
     切断図:同上の濃いもの。
〇煉瓦 姿 図:ベネシャン レッド venetian red 赤錆色またはイエロー オーカー yellow ochre 黄土色( ochre :黄土)。
     切断図:クリムソン レーキ crimson lake 深紅色
〇漆喰 姿 図:薄いプルシアン ブルーprussian blue 紺青(こんじょう)に黒色を少々加える。
    切断図:ニュートラル チントneutral tint やや赤みを帯びた濃灰色。
〇瓦     :ニュートラル チントに墨を加える、または ベネシャンレッドにイエロー黄色を加える。
〇石盤    :インヂゴとイエロー、またはインヂゴにクリムソンレーキ
〇硝子    :コバルト cobalt 空色、淡い群青(ぐんじょう)色。
〇鋳鉄    :クリムソンレーキにプルシアン ブルーを混ぜる。
〇コンクリート:ニュートラル チント

図面に着彩を望まない場合は、次図に示す表記法を用いる。

   註 私の時代には、着彩をすることはあっても、このような材料別着彩の「習慣」は、すでになかった。
     下に、当時の着彩図面の一例を載せます。
     「大阪府庁舎 明治7年竣工 煉瓦造 設計者不詳」(柏書房「図面で見る都市建築の明治」1990年刊より)
    
       折り目から察して、用紙はケント紙ではなく、厚手のトレーシングペーパーではないか。この図が、上記の材料別着彩であるかどうかは不明。
          アアルトの図面保存では、博物館・美術館のカタログ同様、用紙の大きさ、描法に至るまで記録されている。この書には記載がないので不明。
       
       この建物は、昭和20年(1945年)の空襲で焼失、現存しない。

寸法書入れ
職方は、設計図の寸法によって工作をするゆえ、寸法の書入れは、最も重要である。寸法の記入がないときは、一々図面に物指をあて寸法を測ることになり、時間の浪費となり、測る個所が多く、細密な場合には、往々寸法を誤ることがある。
寸法の書入れ法は、表すべき長さの両端の線を赤線にて補足引出し、←―・・・・・・・・―→のように線を記し、その間に数字を記入する。数字は、和数字の場合は上から下に、ローマ数字の場合は左より右へ、あるいは下より上に記入する。文字は青色を用いることもあるが、後日水などで滲むことがあるので墨を用いるのが好ましい。

製図に用いる「尺度」は、必要に応じ「現寸図」(実物大の図)を引くこともあるが、多くの場合は「縮尺」を用いる。
「縮尺」とは、現寸を一定の比に短縮したもので、現寸1間を十分の一に縮尺して6寸とする、百分の一にして6分をもって表す、が如きを言う。
建築の設計図に用いる縮尺は、通常、百分の一、五十分の一、二十分の一、十分の一である。

                                    〈「二 製図の準備」の章、終り〉

     **********************************************************

この章に書かれている「製図」法は、私が学生のとき、「図学」で教わったことと、ほぼ8割ほどは同じである。大きく異なるのは、「着彩」だろう。材料別着彩などは奨められてはいなかった。
また、当時すでに「三角スケール」は普及しており、寸法取りはディヴァイダーを使うことはなかった。なお、学生時代の終り頃から、勾配付三角定規が学生でも使える価格になって、便利になったのを覚えている(45度、60度二種類の三角定規は不要になる)。

ところで、今、建築系の学校で、「製図」はどのように扱われているのだろうか。
私は、おそらく理解していただけないとは思うが、CAD を使うにしても、手で描く「製図の体験」が必要、必須である、と考えている。[文言補訂]
折しも、トヨタ自動車では、生産工程に「手作業」を復活させている、というニュースが伝えられていた。
ロボットに委ねられていた工程のなかに、昔ながらに「手作業」で行う場をつくることにしたのだという。
理由は、「ロボット・機械任せだけだと、(若い世代が)『ものづくりの原理・原則を忘れてしまう危惧を感じた』からだ」とのこと。
  「手描き」「手作業」の必要性・重要性について、以前に、下記で私の考えを書きました。
  「『最大の禍』・・・・設計ソフトに依存することの『禍』

次回は、「三 住家を建設せんとするとき要する図面」の章を紹介します。

近時雑感

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十月になりました。
10日ほど前から、時折、あたり一帯の空気にキンモクセイの香り。今年は少し早いように思います。常緑の葉に隠れるように秘かに咲いていました。

昨日、9月30日は、「回復期病院」での最後の「診察」。「通院リハビリ」も25日が最後でした。今後は、自主トレで、更なる「回復」を期することになったわけです。
一応、普通に暮らせていますが、左の指先の感覚が鈍く少ししびれがあり、左脚も、歩くのに支障はありませんが、いつも膝のあたりが重い。毎日、朝1?、夕方2?ほど犬に引かれて歩いてますが、それが終ると一気にくたびれます。体力の回復も今一つのようです。
診察で、Drからは、発症前の状態に戻れた、などと思うな、それは錯覚だよ、いい気になるな、・・と言われました。
心身ともにストレスは厳禁、とのこと。曰く、「役に立たない番犬のように、のんびり過ごすのがいい」(犬に申し訳ない・・。)。「自主トレもサボるんじゃないよ!」・・・。
脳出血は、結構再発があるのだそうです。お言葉に甘えて、焦らずにのんびり行こうと考えてます。
「焦ってものんびりでも、ちゃんと明日はくるんです・・・」 これは、最近よく見る NHK の「フック ブック ロウ」という子供向け番組のイントロの詩。

「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介−3 : 「三 住家を建設せんとするとき要する図面」-その1 

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「三 住家を建設せんとするとき要する図面」の章を紹介します。
原本で「要する図面」として挙げられているのは、「配置図」「平面図」「姿図(建絵図)」「矩計図」「地形根切図」「床伏図(足元図)」「小屋組(図)」です。
ただ、分量の点で、今回は「配置図」「平面図」「姿図(建絵図)」「矩計図」の部分を紹介することにいたします。かなり長くなります。ご了承ください。

   原本の用語を、現在の用語にすると、姿図(建絵図)=立面図、地形=地業、根切=根伐、になります。
   なお、「矩計」に、「かねばかり」の読みが付されていますが、現在は一般には、「かなばかり」と読んでいると思います。

     **********************************************************

はじめに、原本を載せます。







原文を現代風に読み下します。文中に表示の図は、読み下しのところに載せます。

三 住居を建設するにあたり必要な図面
住居を建設するにあたっては、一、二に於いて述べた要旨に基づき、次の諸図を制作することが必要である。
「大体の配置図」
考案された建てようとする家屋の大体の形状、門、庭園、塀・柵等の大きさ、位置などを示す図。

「平面図」
いわゆる「間取り(図)」で、上方から見下ろした姿を描くことから「伏図(ふせ づ)」と称することもある。
職業、生活の程度、家族数等によって「間取り」を決め、第一図(下図)に示す一定の符号により、「柱」「床の間」「拭板(ぬぐい いた)」「上げ板」「水流(みず ながし)」「戸袋」「縁」「梯子形(はしご かた)」等の位置、「壁」の位置、「建具の開き勝手」に至るまで、一目瞭然に分るように描いた図をいう。


   註 文中の用語 
     「拭い板」:平滑な床板(「日本建築辞彙」新訂版 による)
     「上げ板」:「揚げ板」とも記す。
            台所の床下などの如く、すべて物を貯え置く所の上なる板にして、取外し自在なるものなり。(「日本建築辞彙」新訂版 による)
     「梯子形」:梯子形の表記の意と解する。「階段」のこと。
            明治初期頃までは固定階段をも称した。(「日本建築辞彙」新訂版 による)
     第一図中の用語
     「榑縁(くれ えん)」:縁側の長さに沿うて板を長く張りて造りたる縁。(「日本建築辞彙」新訂版 による)
           榑(くれ):薄い板、へぎいた(へぐ:薄くはぐ)(「広辞苑」による)
     「榑縁 石畳」:「いしだたみ」:隅部で、板を図のように納める場合の呼び名
     「切目縁(きりめ えん)」:縁の長手に対して直角に板を張った縁。多くは幅広の板を用いる。
                     書院造、方丈などの「広縁」が「切目縁」
第二図(下図)甲は、平面図の一例で、家族5〜6人ぐらいが暮せる平屋建て23坪部屋数5の住居の平面図。玄関わきの8畳間を客間、他の広い部屋を家族が使う。下女部屋、台所などは図の通り。

   註 図の上方、縁の側が南、玄関側が北と思われる。
      図の右上の「三帖(三畳)」が下女部屋、その下の「土間」「拭い板」付の「三帖」が台所。
      煮炊きは「土間」。水甕が置いてあったであろう。「水流し」は、「土間」「板の間」双方から使う。(上下水道、ガスなどのない時代である!)
      家族5〜6人ぐらいが暮すには、上方の「八帖」間だけでは無理。日常は玄関わきの「八帖」:「客間」も使う想定だろう。

「姿図(建絵図)」
   註 「建ず(たて づ)」「起図(おこし づ)とも言う。
姿図(建絵図)は、建物が建ち上がったあとの外観(前面、側面、背面等)を描いた図で、施工者にとって大いに必要な図である。住家(すまいや)も一つの物品と同じで、その外観を忽せ(ゆるがせ)にできない。姿図で外観に不良な個所があるときは、小屋組や平面図などの再検討が必要になる。
   註 建築者:字の通り、住家を「建築する」者=施工者
      文中に説明はないが、 第二図 乙が、甲の玄関側(北面)の「姿図」であろう。

「矩計図」
建てようとする家屋の、柱に取付く各材の位置、仕口、構造(つくりかた)の大体の建地割(「割付け」)や、軒の出などを定める図を言う。その寸法等は一定ではなく、設計によって異なるが、一般的寸法をまとめると以下の通りである。
〇土台の下端〜畳の上端
  普通の住家  1尺4寸〜1尺7〜8寸ぐらい
  中等家屋   2尺3〜4寸
  御殿造(ごてん づくり) 2尺5寸〜  3尺以上とする場合もある
    なお、御殿造の場合は「切目縁」とし、階段、手摺等を設ける(切目縁の仕口は「構造編」参照

   註 上場=上端、下場=下端
     「御殿造」という用語は知りません。「御殿のような」大邸宅というような意の形容語か?ご存知の方、ご教示ください。  

〇内法高:敷居上端〜鴨居下端
  通常(柱芯〜柱芯6尺)   5尺7寸または5尺8寸
  京間(柱芯〜柱芯6尺5寸) 柱内法の幅を高さとする

   註 京間の内法高について
      「木割書」の一つ「匠明」では、「内法=切目長押上端(=畳下板床面)〜内法長押下端」=柱間(柱芯〜柱芯)とあり、     
      したがって、「敷居」上端〜「鴨居」下端=「切目長押上端〜内法長押下端」−「敷居の厚さ+鴨居の厚さ」になる。
      それゆえ、「敷居」「鴨居」それぞれの厚さ:丈(成 せい)を2寸、柱径を5寸と仮定すると、
      「切目長押上端(=縁の床面)〜内法長押下端」=柱間=6尺5寸
      ∴「敷居上端〜鴨居下端」=「切目長押上端〜内法長押下端」−「敷居と鴨居の厚さ」=6尺1寸
                                                            ≒柱間(柱芯〜柱芯)−柱径=6尺5寸−5寸=6尺
     光浄院客殿は確かにこの数字に近い。( 「建物づくりと寸法−2・・・内法寸法の意味」参照)
      しかし、京間の住居の実例を調べてみると、一般的に「敷居上端〜鴨居下端」=5尺7〜8寸である(5尺7寸が多い)。
      近江八幡西川家(商家1706年建設):5尺7寸 山口目加田家(武家18世紀末〜19世紀初建設):5尺7寸 今井町高木家(商家1840年頃建設):5尺7寸 など
          当初信州横田家を例に挙げましたが、横田家は京間ではありませんでしたので、外しました。目加田家は柱間6尺3寸です。[訂正 7日9.00]
     
〇小壁(こ かべ):鴨居または長押上端〜天井回り縁下端間の壁:の高さ
その室の畳数×2.5 or 3.0を高さとする。
  たとえば 六畳間の場合は、6×2.5 or 3.0 ∴1尺5寸または1尺8寸
しかし、大きな室では、内法高の 7/10〜8/10 ぐらいにすることもある。

〇その他 天井の張り方など
天井の張り方で注意すべきことは、「床の間」に向って「竿縁(さお ぶち)は「床」と平行に設け、板は、その矧ぎ目を柱または束柱の芯に置くか、板幅の中央に柱または束柱がくるように張る。
   註 書院造や方丈建築では、竿縁の向きについて、このような拘りはない(先の「建物づくりと寸法−2」中の写真参照)。

以下に、普通および中等家屋の「矩計図」を例示する。

「平屋建普通住家矩計(建地割)第三図(甲)」(第二図の住家にも応用)

   註 原本には縮尺 1/20 とありますが、上図は 1/20 ではありません。
総高さ 土台下端〜軒桁 峠:11尺6寸
これを以下のように細分する。
  土台下端〜敷居上端      :1尺8寸 ただし、敷居は丈(成い せい)2寸×幅 3寸8分
  内法高(敷居上端〜鴨居下端):5尺7寸 ただし、鴨居は丈(成い せい)1寸4分×幅 3寸8分
   註 原本の「鴨居」の「幅1寸5分」は誤記と思われます。敷居幅と同じと見なしました。
  小壁の高さ(長押上端〜天井回り縁下端):2尺2寸
  天井回縁上端〜軒桁上端(峠):1尺6分
   註 説明文では1尺5分とありますが、図に記載の寸法を採ります。
部材寸法 
   註 原文には「木割」とありますが、内容から、部材の寸法の意と解します
      「木割」とは、一般には、柱の太さを1として、それに対する比率で材寸などを示すこと(「日本建築辞彙」)を言います。
  柱  削立て(けずり たて)寸法 3寸8分角  
   註 「普通の」建物でこの太さ。現在の法規の最低《基準》10?角がいかに細いか!
  土台 削立て(けずり たて)寸法 4寸2分角
  大引 松丸太 末口 6寸
  根太 普通は 2寸角
  床板 6分板
  貫  地貫(ぢ ぬき)は「大貫」、他は「中貫」とし、「天井貫」を含め、5通り設けるものとする。
   註 「大貫」実寸 幅 3寸9分×厚 8〜9分(墨掛寸法で 4寸×1寸)  
      「中貫」実寸 幅 3寸2〜3分×厚 6〜6.5分 (墨掛寸法で 3寸5分×8分)
      現在市販されている「ヌキ」は、「中貫」よりも薄いことに注意。
  床板 杉 4分板
   註 「 削立て(けずり たて)寸法」 鉋削りをした寸法:仕上り寸法
      「墨掛(すみかけ)」寸法=木口に所要寸法を墨出しした時の寸法、製材すると鋸の厚さ分小さくなる 墨掛 4寸角⇒曳き割ると 3寸8分角程度
      「貫」などではそのまま使うが、柱などは、更に鉋をかけて仕上げる。
      ゆえに、当時の削立て(けずり たて)寸法 3寸8分角の柱は、墨掛寸法では4.5寸角ほどだったのではないか(製材後:曳割寸法で4寸角)
       現在は、曳割り4寸角をプレィナー仕上げて3.8寸角にしています。
      このあたりのことについて詳しい方、ご教示ください。 

「平屋建普通住家矩計 縁側の部 第三図(甲)」    
総高さ 本屋の屋根勾配に応じて定める。
柱の大きさは、削立て 3寸4分 角とする。
縁框は、丈(成せい)4寸×幅 3寸とし、上端を本屋の敷居上端より 1寸2分下がりとし、縁幅全体で 1/100の水下がりを付ける(この図の場合は 3分)。
   註 縁側は、雨戸を開けている昼間は、雨の吹き込むことがあった。ゆえに、水勾配を要した。
無目(むめ)は、成 1寸6分×幅 3寸1分、無目下端までの内法高は 5尺7寸とする。
一筋鴨居は、成 1寸8分×幅 2寸2分。
欄間:無目上端〜桁下端:の高さは 1尺2寸。
縁桁は末口径 5寸。
化粧天井の勾配は 3寸2分(3.2/10)。
軒の出は 2尺4寸、ただし、板葺の場合は、 2尺8寸〜3尺とする。
「右割柱の大さは・・」は、意不明
垂木掛:成 3寸5分×幅 1寸8分、化粧垂木:成 1寸6分×幅 1寸4分、淀:幅 3寸4分×厚 7分、広小舞:幅 4寸5分×厚 1寸2分。
裏板は、杉 4分板、上の野地(板)は、本屋の野地を葺き下ろし、広小舞の上端に突き付ける。
本屋の野垂木は 2寸角、野地(板)は 3寸(幅の)貫を小間返し(こま がえし)に打つ。
   註 棰=垂木
      小間返し:幅と「空き」を同寸にすること。たとえば、3寸幅の板を、3寸空けて張る。これを繰り返す。

「縁側」について、下記を参照ください。     
「日本家屋構造の紹介−14・・・・縁側、その各部の構造」
「補足・日本家屋構造−6・・・・縁側考」
また、日本家屋の開口部建具の変遷については下記に概要をまとめてあります。[追記 8日9.00]
「補足・日本家屋の構造−7」

「平屋建普通住家矩計 便所の部 第三図(甲)」
   註 第三図の姿図は、第二図の平面図の便所には対応していない。 
小便所床板上端は縁側上端より 8分以上上げ、大便所の床面は、これより更に 8分乃至 1寸上りとする。
便所外側の窓の高さは、床面から敷居上端まで 3尺5寸とし、敷居上端〜鴨居下端は 1尺5寸とし、それ以上の高さは縁側の高さとの取合いによる。
敷居は柱の面内に取付け、入口鴨居すなわち無目は、成 1寸3分×幅 3寸 として、入口の方立は、見付 1寸6分×見込 1寸8分、窓敷居、鴨居はともに成 1寸2分×幅 3寸 とする。
   註 文中の法立は方立と解す。なお、方立の見込寸法の 1寸8分は?
天井回縁(まわり ぶち)は、成 幅1寸4分×幅 1寸5分、竿縁は 5分× 6分ぐらいとする。
窓の外部に設ける屋根板および雨押えは、ともに杉厚 1寸の板とし、窓の格子は見付 6分×見込 7分、格子の貫は幅 5分×厚 2分とする。
外壁下見板の簓子(ささら こ)縁は見付 1寸×見込 8分、板は杉 4分板とする。
   註 外壁の仕様は、簓子下見:板を「羽重ね(は がさね)」にして、簓子(縁)で押さえている。
      羽重ね:雨水の流下をよくし、壁内への侵入を防ぐために、上に張る板の下端を下の板の上端に重ねて張る張り方。
      簓:竹の先を細かく割って束ねたもの。田楽などで簓子とすり合わせて調子をとるのに用いる。(「広辞苑」による)
      簓子:簓を擦るのに用いる細い棒で、鋸歯状の刻み目がつけてある。(「広辞苑」による)
      羽重ねの下見板を押さえる縁「押縁」には、羽重ねに合わせた段状の刻みを設けてあることから簓子と呼ぶ。
      「猿頭(さる がしら)」:図中「(便所)側面切断図」の窓屋根板上の材
      板庇または板屋根の板上に、所々に取付けたる木にして、上端に小返(こ がえり)付のものをいう。(「日本建築辞彙」による)
         「小返」付:上端に勾配を付ける。頂部を「鎬(しのぎ)」と呼ぶ。 

「平屋建中等住家矩計 第三図(乙)」
総高さ 土台下端〜軒桁 峠:14尺
これを以下のように細分する。
  土台下端〜敷居上端:2尺2寸 ただし、土台:削立て 5寸角、足固め: 5寸× 6寸、床板: 8分、敷居:成 2寸×幅 4寸2分
  内法高(敷居上端〜鴨居下端):5尺8寸 ただし、鴨居:成 1寸6分×幅 3寸8分
  内法長押:成 3寸8分×幅 2寸
  小壁の高さ(長押上端〜天井回り縁下端):3尺4寸
  天井回縁上端〜軒桁上端(峠):1尺6分
  欄間の敷居、鴨居:成 1寸1分× 3寸2分 欄間内法高:2尺4寸、天井長押:成 2寸7分×幅 2寸。
  天井回縁:成 2寸2分×幅 1寸6分、竿縁: 1寸4分角。
  天井回縁上端〜軒桁上端(峠):1尺5寸7分
   註 原文では天井上端より・・とありますが、図から、回縁上端より、に読み替えました。
部材寸法 
   註 原文には「木割」とありますが、内容から、部材の寸法の意と解します
  柱   削立て 4寸2分角
   註 この寸法は、江戸末期の建物(今井町・高木家など)と同じです。
  釣り束、便所柱 削立て 3寸6分角
  根太 成 2寸5分×幅 2寸
  軒桁 成 6寸×幅 5寸、ただし2間以上持放し(支点間が2間以上)の個所では成 1尺以上×幅 6寸とする。
  小屋各部の材寸については、別項の木割を参照のこと。
   註 次回以降に載せる予定です。
  軒の出 1尺5寸、野垂木は 2寸角、広小舞:幅 5寸×厚 1寸5分、鼻隠し:幅 4寸×厚 1寸。
  軒先の天井板は松 6分板、面戸板は杉 6分板とする。野地は 3寸(幅の)貫を小間返し(こまがえし)に打つ。
  布石の高さは地上 3寸ぐらいの高さとし、土台側面より外側へ 1寸5分〜2寸ぐらいだし、水垂勾配(みずたれこうばい)を付ける。
   註 水垂勾配:石上に水が溜まらないようにするために付ける勾配

「平屋建普通住家矩計 縁側の部 第三図(乙)」
総高さ は、沓石(くつ いし)上端〜縁桁上端を 1丈(10尺)7寸として、沓石の高さは地盤より 4寸上り。
柱は仕上り 3寸8分角、縁框は成 5寸5分×幅 4寸で本屋敷居上端より 1寸6分下りとして、沓石上端より框上端までの高さは 1尺9寸とする。ただし、縁幅4尺のときはs、水下がり 4分とする(水勾配 1/100)。
無目(むめ)は、成 2寸×幅 3寸4分、無目下端までの内法高は 5尺8寸とする。
一筋鴨居は、成 2寸2分×幅 2寸4分。
欄間の内法高:無目上端〜桁下端:の高さは 2尺2寸。
縁桁は末口径 6寸以上。根太:成 2寸5分×幅 2寸、縁板:榑縁張り幅 4寸×厚 8分。
垂木掛:成 3寸8分×幅 1寸7分、化粧垂木:成2寸×幅 1寸7分、淀:幅 3寸2分×厚 8分、広小舞:幅 5寸×厚 1寸5分、木小舞:幅 1寸×厚 8分を6寸間明きに打付ける。なお、小さな座敷の場合は、木小舞は幅 6分×成 5分ぐらいにして明きを 3〜4寸ぐらいとする。
化粧天井の勾配は 3寸2分(3.2/10)。上の野地(野屋根)は 4寸勾配とし、軒の出は 4尺とする。
縁側柱下の沓石は、上面を縁柱の直径の裏目(√2倍)として、四方の切下げ勾配は2寸5分の返し勾配とする。間内柱下の玉石は、径 1尺2寸以上とし、束下の玉石は径 9寸以上とする。
   註 返し勾配:45度より急な勾配の時、45度を差し引いた残りの勾配を言う。
なお、以上の各材料の大きさは、東京付近の場合の例であり、他の地方では、その地の状況に応じて斟酌すること。
第四図 甲(下図)は、普通住家二階建ての矩計で、東京市内の商家に多い出桁(だし げた)蔀戸(しとみ ど)造の矩計を示した例、第四図 乙は中等以上の二階建て住家の矩計である。各所の高さや各部材の大きさは、図から読取ってほしい。
この例の階段の踏面、蹴上の寸法を求めるには、この二者の寸法数を乗じて50に近接する数であることが肝要である。たとえば、踏面を 1尺とすれば、蹴上は 5寸となり、踏面を 8寸とすれば、蹴上は 6寸2分5厘となる。
もしもこれに手摺を設けるならば、その高さは普通 2尺2寸乃至 2尺3〜4寸とする。縁側に手摺を設ける場合もこれにならう。
   註 出桁造 「日本家屋構造の紹介−13」参照。

建地割(矩計)についての一般的な注意
柱に於ける貫穴の位置
桁行の地貫は、その上端が床板の下端に接するように差し、床板の受木:受け材を兼ねるようにし、梁行の貫は、床板下端より 1寸5分〜2寸ぐらい下げ、根太受木:受け材を兼ねる。中等以上の建物は、貫を兼用せず、根太受木は別途に設ける。
隅の柱の貫穴は、桁行を上小根枘、梁行を下小根枘として差し、楔もそれに応じて打つ。
なお、胴差、差鴨居の類の枘の小根も同様(桁行を上、梁行を下)とするのを通則とする。
貫の差し方
内法貫は、鴨居の上端より 5分ぐらい上げて差す。
地貫と内法貫との間に貫を二通り差すのを、四通貫と言い、一通り差すのを三通貫と呼ぶ。
天井貫は回縁上端と平らに差すものとする。
壁小舞・間渡し竹の位置
外壁壁下地の小舞は、縦の間渡し竹の穴を、軒桁下端の芯墨より外側に 4〜5分離して彫り、横間渡し竹の穴は、柱芯に彫る。竹の穴は、いずれも柱、貫、間柱などから 2寸離して彫るものとする。
   
                                                 「配置図」「平面図」「姿図(建絵図)」「矩計図」の項終り

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以上お分りのことと思いますが、この書の矩計図の寸法記入が現在一般に奨められている矩計図のそれと大きく異なっています。
ここで示されている矩計は、建築者:施工者のための矩計なのです。
一方、現在一般に奨められている矩計は、建築者のためではなく、確認申請の審査者のための矩計なのです。
現在の矩計は、設計GLからの寸法を指示することが求められています。それゆえ、建築者(大工さん)は、仕事をするために、木造部の寸法を、あらためて計算しなければならないのです。
この書の矩計では、土台下端が基準点になっています。そこで表示される寸法で直ぐに仕事ができるのです。

設計図とは何か、考え直してみる必要があるように思います。確認申請のためにつくるものではありません!

次回は残りの図について紹介します。

近時雑感・・・・暮しのカレンダー

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気候がおかしなせいか、柿の色づきがわるいようです。これは渋柿。


通院リハビリを終了して半月以上になります。そこであらためて気付いたのは、退院後、週一回の通院リハビリの日を、いわば「起点」にして一週間がまわっていた、暮しのリズムができていた、ということでした。
通院リハビリがなくなってから、ふと、今日は何曜日だったけ、と自問することがありました。「起点」が具体的にないからだと思います。まだ、本当には発症前に回帰できていないのです。
こういう「感覚」は、「退職」したときにも味わったように思います。要するに、「他動的に」与えられていた「起点」がなくなり、新たな「起点」がつくられていないことによる違和感とでも言えばよいかもしれません。別の言い方をすれば、自らを律する、あるいは、自らが差配できる(と思える)カレンダーがつくれていない、ということでしょうか。


私の暮している集落は、8割以上が農家です。そして、その大半は高齢者、私と同年代かそれ以上の方がたです。若い世代に代替わりしているお宅もあります。その場合は、かつての「主人」は、いわゆる「隠居」。この地域では、大抵、屋敷の中に「母屋」と「離れ」があり、隠居者は「離れ」に住まわれるのが普通です。
隠居は、のんびり暮らせている、と傍からは見えるかもしれませんが、私の印象は少し異なります。もちろんすべてではありませんが、隠居された方は、早く「老いる」ように見えるのです。
夕暮れ時、門前にぽつんと座り込んで、あたりを何を見るというのでもなく眺めている姿を見ることがあります。しばらくして、最近姿を見かけないな、などと思っていると、今は、どこそこの施設に入っている、などという話が伝わってきます。
農家の方がたは、季節の移り変わりを身をもって感じながら、その季節なりの農事を決めています。その「差配」を、長年、ご夫婦でやってきた、それが、隠居で、いわば失せてしまったのです。何も自分のやることがなくなってしまった。その「喪失感」は、余人には想像できないほど大きいのではないでしょうか。門前に佇む姿に、それが表れているように私には見えました。隠居と言えば恰好よいですが、もしかしたら、これでは姥捨てと変わらないのかも・・・、などと思ってしまいます。

私が散歩に行く一つのコースの折り返し点に、200?程度の小さな畑があります。まわりは、それとは違い大面積の耕地です。今は一面落花生(ちょうど収穫期です)。しかしその小さな畑では、季節の色とりどりの草花や、多種多様な野菜が育っています。
この畑を営んでいるのは、この集落の大地主の奥さん。私と同年代かと思います。腰が曲がっています。この方が、途中はちょっとした坂道なのに、何とバイクに乗って!自宅から500mほど離れているこの畑に通って育てておられるのです。広大な所有地のほんの一画なのですが、ここだけはすべてこの方の差配に委ねられているようです。そして、この方は、腰が曲がっているのにバイクに乗っているように、非常にお元気なのです。いつも溌剌としています。近在には、同年齢の腰の曲がった女性が多数おられます。多くは、デイサービスに通っているようです。
この違いは、自ら自らの日々を差配できる、差配できていると思えることが有る、自分の暮しのカレンダーを持てている、かどうかに起因しているのではないか、と私には思えます。
そして、このことは、「高齢者を『介護する』」とはどういうことか、示唆しているのではないか、と考えています。
隠居された方には、何もさせない、のではなく、例えば、代替わりした家人:若い世代の方が、農事にについてのノウハウを訊ねる、教えを乞う、それも、いや、それこそが「介護」なのではないか、と思えるのです(そういう「能力」は、シルバー人材センターに登録すればいい、なんていうものではないはずなのです)。
自ら差配できることがある、差配できていると思えることが有る(これは、世にいう《生きがい》などというようなものではない)、そうであれば、「老いる」度合いも小さくなる、そして、いわゆる「狭義の介護(身の回りの世話など)」の必要も減るのではないか、そのように感じています。

小さな畑では、今、菊が満開です。


私も、自主トレも含めた暮しのリズムを安定させなければなりません。

「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介−4 : 「三 住家を建設せんとするとき要する図面」-その2

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今回は、「住家を建設せんとするとき要する図面」のうち、残りの「地形根切図」「床伏図」「小屋組」の項を紹介します。
はじめに原文をそのまま転載します。文中記載の図は、読み下しのところに転載します。
     


「地形根切図(ぢぎょう ねぎり ず)」
   註 現在の表記では「地業根伐図」が普通です。
以下、読み下します。ただ、わかりやすくするため、文中の順番を多少変えます。

地形とは、建物の柱、壁などの基底(き てい)をなし、上部からくる荷重をなるべく広く平均に地上に伝えるべく行う工程で、そのために地面を採掘することを根切(根伐)と言う。そのうち、側通りや間仕切下などを細長く掘ることを布掘(ぬの ほり)りと言い、柱または床束(柱)の下など局部だけを掘り下げることを壷堀(つぼ ほり)と呼ぶ。
地形根切図は、側まわり、中仕切りなどの平面図、切断図などによって、その仕様、寸法を示すために作成する図で、丁寧な場合は、土台、玉石、沓石などを別々に図にすることもある。
第五図(下図)は、第二図(再掲します)に示す家屋の伏図を示したものである。
     

我が国の従来の建物では、西洋の石造や煉瓦造の家屋とは異なり、上部よりかかる荷重はきわめて小さいので、地山(ぢ やま)の固い所では、第五図・丙に示す方法で問題ないが、腰回りを煉瓦積にしたり、あるいは土蔵のようなつくりの場合は、到底長期にわたり荷重に耐えることはできないから、そのような場合は、算盤(そろばん)または蠟燭地形(ろうそく ぢぎょう)などを用いなければならない。算盤(そろばん)蠟燭地形(ろうそく ぢぎょう)については、「構造編」に詳しい説明がある。

   註 上巻・構造編所載の「水盛・遣方」「地形」の項は、紹介から漏れてしまいました(紹介する前に入院してしまい、失念!)。
      後日あらためて紹介することにします。
      今回は、そのうちの蠟燭、算盤の解説部分と図だけ下記に転載いたします(図は、原本の図を編集)。
        
      上図のはが蠟燭地形、に、ほが算盤地形の図で、ほはにの側面図。
      蠟燭地形および算盤地形は、ともに杭打ちを必要とする地形で、
      地盤の表層が建物の重さに耐えられない状態のとき、地下の硬質の地層まで杭を打ち、そこへ荷重を伝える方法である。
      杭には松の生丸太を使う。
      蠟燭地形(図は)は、杭の頭へ玉石を据え、蠟燭石を立て、側石を受ける。
      算盤地形(図に、ほ)の算盤木には径7寸の松の生丸太の両面を杣削りし、
      長さ2尺5寸位に切り、杭の頭に取付け鎹(かすがい)で固める。
      補注 杣削り:斧を使って削りとること。
      捨木(捨土台)は、同じく松の尺角二つ割位のものを用い、継手は相欠きで継ぎ、算盤に鎹で取付け固める。
      補註
      地下水位よりも深いところは、腐朽菌の生育に必要な酸素が少ないため、木材が腐朽しにくい。
      それゆえ、木製(特に、耐力があり腐りにくい松)の杭が用いられてきた(旧帝国ホテルでも使われている)。
      算盤、算盤木(「日本建築辞彙」の解説を要約)
       礎盤(そばん)、礎盤木(そばんぎ)が、ソロバン、ソロバンギと間違って読まれ、その結果「算盤」の字があてられるようになったようである。
      蠟燭(石)(「日本建築辞彙」の解説を要約)
       地下水位より深い部分には木杭を用い、地表に近い部分は、腐朽を避けるために石製の束柱に代え、その石を、形状から蠟燭(石)と呼んだ。
       土蔵の基礎などで用いられた地形(地業)。

土台は、壁の最下部に設けられ、壁を固定し、上方より来る荷重を一体に分布させる役割を持つ横木である。乾湿の繰り返す場所にあるが、特に水湿に対して強いヒバ、ヒノキ、クリなどを用い、樹液が発散するため(樹液の発散を避けるため、の意と解します)、下面および側面にコールタールを塗ると、大いに防腐効果がある。
   註 コールタール塗布による防腐は、「樹液の発散を避けるため・・・」というより、
      木材表面にコールタールの被膜をつくり、木部が直接水分、空気に接すること(腐朽菌繁殖の温床になる)を遮断する方法と考えられる。
     コールタールは劣化しにくく、下地への付着力も強く、被膜が剥落することがない。金属板等の防錆にも使われている。[文言追加 19日9.00]
      同様に、古来使われてきた防腐剤にクレオソートがある。
      これは、クレオソートの強力な殺菌作用による防腐と考えられる(腐朽菌が繁殖しない)。木製の電柱、枕木には、クレオソート注入法が使われた。

床伏図(足元図)
土台、床束、足固め、大引、根太、床板などの大きさや位置、仕口などを第六図(下図)のように、平面図にて示す図。

大引は、両壁間の距離が短い方に3尺間に架け、4尺〜6尺ごとに床束で支える。床束の動揺を防ぐために、大貫の類を束に差すかまたは束面に釘打ちする。これを根柵貫(ね がらみ ぬき)と呼ぶ。
   註 根柵貫:現在は根搦貫と書くのが普通では。
      大貫:墨掛寸法で幅4寸×厚1寸(実寸で幅3寸9分×厚8〜9分程度)
      現在市販の通称「ヌキ」(厚さ実寸14?・4分5厘程度)は、貫材としては問題外の「規格」であることに留意。[文言追加 19日9.00]
根太は、普通1尺5寸間で大引上端に渡り欠きとし、大釘打ちとする。根太の継手は千鳥に配置する。これを「筏(いかだ)に打つ」と言う。
   註 渡り欠き:大引に渡り腮(わたりあご:下図)で掛けるために根太の一部を欠きとること。
      材の欠き取り部分が小さくて済み、かつ、二材を確実に組むことができる。
     
      図は「日本建築辞彙」より転載
各室の押入、あるいは台所などの板の間に於ける拭い板表面は、敷居と平らに納め、縁板の上端は、敷居下端とするのが普通だが、敷居上端より、1寸6〜7分下りとしてもよい。
   註 「拭い板」:平滑な床板(「日本建築辞彙」新訂版 による):再掲
便所の床板は、縁板上端より、更に1寸以上高くする。
足固めは、室の内外部各敷居の下に設け、外部で壁のある個所では半足固めとして根太受を兼ねる。足固めと大引の仕口は、図中の乙、丁のように扇枘差(おうぎ ほぞ さし)とする。
最近家屋構造の改良が盛んに為され、これらの仕口の不完全を補うものがあるが、これについては後章であらためて説明する。

小屋組
第七図(下図)は小屋組の形状を表す図で、軒桁、小屋梁、母屋(もや)、棟木、谷木、束などの位置、組み方、仕口などの構造を伏図および切断図によって示す。この小屋組は、第二図に示した家屋を例にしている。

甲は伏図だが、軒の出は略してある。
図中の単線は、軒まわり、母屋、谷木、隅木の位置を示している。縁桁は、軒桁より一段下がるが、その位置は、本体の軒先との取合いで調整する。
梁の組み方は次の通り。
「い六」〜「ち六」の梁を敷梁(しきばり)すなわち下木として、「は一」〜「は十」、「い四」〜「ち四」、「ほ六」〜「ほ十」、「い七」〜「ほ七」と順次組み、その他は上木として架ける。
母屋の隅の組合せ箇所の下に>梁がないときは、「い三」〜「は三」のように飛梁(とび ばり)を設け母屋を受ける小屋束を立てる。
飛梁は、一方は軒桁に兜蟻(かぶとあり)で掛け、他方は梁上に渡り欠きとして架ける。飛梁は多少登木(のぼり き)の状態になる。
乙の切断図は、伏図のある部分を切断して、各材の位置、用途を明らかにしてその構造:つくりかた:を示し、必要に応じて部分詳細図を描くことがある。
   註 兜蟻(かぶとあり)については、「日本家屋構造の紹介−11」に説明があります。

                                「住家を建設せんとするとき要する図面」の項終り

「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介−5 : 「四 普通住家 略木割」−その1 

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今回の章は、普通の家屋の各部の標準的な仕様・部材寸法、あるいはその決め方(木割法)をを具体的な数字で示している章です。

部材寸法については、現在の「教科書」はもちろん木造建築についての「解説書」の類でも、まったく具体的に示されていない、と言ってよいでしょう。
それゆえ、初心者は、部材の寸法決めに際し、大いに悩むことになります。
私の場合、やむを得ず、これは、と思う諸事例の図面を参考にして決めていました。部材寸法のおおよそが身につくまで、つまり、自分で決められるようになるまで、10年近くかかったように思います。

ここに紹介されている部材寸法や決め方(木割法)は、長年、多くの大工諸氏が現場で習得し、継承してきた「経験値」と考えてよいでしょう。
現在のように、時の政府や《有識者》《学者・研究者》が(恣意的に、勝手に)決めたものではない、ということです。
つまり、強度的にも見栄えの点でも、妥当であり問題ない、と現場の実践で裏付けられてきた部材寸法であり決め方、なのです。
それゆえ、この数値、決め方は、ほとんどが現在でも通用するはずです。その意味で、貴重な資料・データと言えます。

   なぜ現在の教科書や解説書では、部材寸法について具体的に示さないのでしょうか?
   おそらく、「構造計算」という「概念」が建築界で「優位な位置」を占めるようになったからだ、と私は思っています。
   以前にも書いた気がしますが、「構造工学」を学ぶ学生に、部材の断面はどのようにして決める?と訊ねると、大方は構造計算で決めると答えます。
   実際は、「先ず断面を『仮定』し」、「構造計算」は、その仮定した断面が問題ないかどうか、確認するために行うに過ぎない、と言うと怪訝な顔をします。
   構造計算で自動的に断面が決まる、と考えているらしいのです。学生以外でも、そのように考える方が多いのではないでしょうか。
   そこで問題は、断面をどうやって仮定するか、ということになります。「仮定」がなければ、「計算」もできないからです。
   しかし、教科書には「仮定」の決め方は触れられていないのです。
   通常「仮定」は、どうやって決めているか?その「拠り所」は、「経験」によってそれぞれが築いた「直観」以外にありません。
   しかし、「経験」に基づく「直観」などというのは、工学系の研究者・学者諸氏が最も嫌う「概念」です。
   だから、「仮定断面」の決め方について、触れることができないのです。それゆえ、現在の教科書には、部材寸法について、具体的記述がない。
   私は、このように考えています。

前置きが長くなりました。本論に入ります。

     **********************************************************

はじめに、「四 普通住家略木割」の原文を転載します。


以下、註を加えながら現代風に読み下します。ただ、長くなりそうですので、今回は「各部木割」までとし、「縁側及化粧之部」「間内之部」「外廻り下見張り之部」は次回といたします。

建物の高さによって柱の直径を定める方法
   柱径が、木割の基本。それゆえに、先ず柱径を定めなければなりません。
   柱径は、建物の高さ、すなわち柱の長さに応じて決まる、というのが、この書の考え方です。現在でも通用すると考えてよいでしょう。

      柱の長さ      柱の大きさ    
      9尺(≒2.7m)   3寸4分(≒103?)角
     10尺(≒3.0m)   3寸6分(≒109?)角
     11尺(≒3.3m)   3寸8分(≒115?)角
     12尺(≒3.6m)   4寸   (≒121?)角
     13尺(≒3.9m)   4寸2分(≒127?)角
     14尺(≒4.2m)   4寸4分(≒133?)角
     15尺(≒4.5m)   4寸6分(≒139?)角
     16尺(≒4.8m)   4寸8分(≒145?)角
     17尺(≒5.1m)   5寸   (≒151?)角

縁側や便所などの柱の径は、本屋の柱径(A)より、その十分の一減らすか(∴0.9A)または十分の一・五減らす(∴0.85A)。
部屋内の釣束(つり づか:吊束)の径は、本柱の径(A)の十分の八(∴0.8A)とする。

ここに記した部材寸法、木割は、市場で販売されている(市販の)木材を標準として定めている。
すなわち、「押大四角(おし だい しかく)」を3寸4分または三寸6分角に、五寸角を3寸8分または4寸角に削り仕上げるものとする。
   註 聞き慣れない用語があるかと思いますので、以下に、「日本建築辞彙」新訂版より用語の解説を転載します。
        「押(おし)」:「押角(おし がく、おし かく)」の略。
        「押角」:七寸角より小なる木材を押角という。
        「大四角」:「押四寸五分角」をいう。
       七寸角以上を「大角(おお がく)」とし、それ以下を「押角」となすことあれども、また所によりては、
       九寸より「大角」となし、九寸未満を「中角」となし、五寸未満を「小角(こ かく)と称することあり。

      なぜ七寸角以下の材の呼び名に「押」と言う字を付すのか、その訳・謂れが分りません。
      市販の4寸5分角は、正4寸5分ではなく、曳割り前の寸法:墨掛け寸法で、実寸は4寸強程度ではないかと思います。
      そうであると仮定すれば、4〜6分削ることで、3寸6分〜3寸4分に仕上がります。
      近世の建物の柱には仕上がり4寸2分程度が多く見られます。おそらく市販の五寸角:実寸4寸8分程度:を削り仕上げるからではないでしょうか。
        現在、市販四寸角をプレーナーで仕上げると、3寸8分程度に上がります。
      以上は私の推測です。間違っているかもしれません。

      「日本家屋構造」の紹介−2で、製材法の解説の部分を転載してありますが、墨掛け寸法と実寸の差の詳細(鋸の厚さ?)、あるいは「押角」の意などに
      ついては説明がありません。
      「押」の意を含め、当時(あるいは近世)の製材法や市販木材について詳しい方、ご教示いただければ幸いです。

各部の部材の木割
土台の大きさは、「柱一本一分」の角とする。一分とは、柱径の十分の一の意。
つまり、柱径をAとすると、土台は1.1A角とする。
足固(足堅:あし がため):成(せい:高さ)柱一本四分×幅 一本一分、すなわち1.4A×1.1A。
大引:柱一本三分×一本一分、すなわち1.3A×1.1A。ただし、松丸太の場合は、二間のとき末口6寸。
根太:成2寸5分×幅2寸。普通は市販の「二寸角」
   註 二寸角:八寸角十六割にして、実寸は一寸七分角程なり。長さは一間、一間半及び二間の三種あり。(「日本建築辞彙」新訂版)
貫:下等の家屋では中貫(ちゅうぬき)、すなわち幅3寸2〜3分×厚5〜6分、中等家屋では、大貫(おおぬき)、すなわち幅3寸6〜7分×厚7〜8分。
   註 大貫:杉大貫は、長さ二間、幅四寸、厚さ一寸の墨掛なり。実寸は幅三寸九分、厚さ八、九分程なり。・・・
      中貫:杉中貫は、長さ二間、幅三寸五分、厚さ八分とす。尤もこれは墨掛寸法なる故、実寸は幅三寸二、三分、厚さ六分〜六分五厘程なり。
                                                       以上「日本建築辞彙」新訂版の解説より
床板:下等家屋では六分板(正3〜4分位、註参照)、上等家屋では一寸板(正7〜8分位、註参照)。
   註 以下は、「日本建築辞彙」新訂版の解説。
      六分板:墨掛厚六分なる板をいう。実寸は四分五厘程(≒13.6mm)にして、幅一尺以内、長さ一間なり。
      一寸板:墨掛のとき厚さを一寸宛となす故この名あり。されど実寸は八分五厘(≒25.8mm)内外なり。
      松一寸板は、長さ一間、一見半、及び二間の三種、
      檜一寸板は、長さ一間、
      杉一寸板は長さ二間にして東京にては普通これを板割(いた わり)と名く(なづく)。一寸板の幅は七寸〜一尺程。
      板割:・・・東京近傍にては、単に板割といえば杉一寸板のことなり。・・
間柱(ま ばしら):普通は松六本三寸(ろっぽん さんずん)(括弧内は「正1寸4〜5分×1寸2〜3分ほど」の意と解す)または市販の二寸角(正1寸7〜8分×1寸4〜5分)を用いる。
   註 以下は、「日本建築辞彙」新訂版の解説。
      間柱(ま ばしら):大柱の間に、一尺五寸間内外に建てたる小柱にして、「下見(したみ)」」「木摺(き ずり)」などを取付けるためのものなり。
                  大きさは松「大三寸(おお さんずん)」ないし「五寸角二つ割」程なりとす。
      なお、頭注に次のようにある。
         「大三寸」は「六本三寸」に同じ。「大三寸」と「五寸角二つ割」とでは、大きさが異なる。前者は伝統的な、後者は木造洋館の間柱であろうか。
         前者は間半(ま はん)(三尺のこと)に壁貫に添え付けて立てられ、 塗壁の補強、押縁下見の下地の用をなし、
         後者は木摺や下見板張の下地に使われた。
      六本三寸(ろっぽん さんずん):松七寸角十六割にして、長さ九尺及び二間の二種あり、実寸は一寸五分×一寸二分なり。
                          「大三寸」、「松一寸七分角」、「五分八」などの別名ありて、安普請の根太、垂木などに用うるものなり。
      二寸角:前掲根太の項の註参照。   

          「六本三寸」の呼称の謂れが分りません。ご存知の方、ご教示いただければ幸いです。
          また、七寸角を縦横それぞれ四つに割ると(墨掛十六割)、計算上、1寸7分5厘角になります。
          それが実寸1.5寸×1.2寸になるのはなぜか(なぜ縦横同じ寸法にならないのか)、この点もご教示いただければ幸いです。
         
塗込貫(ぬりこみ ぬき):普通の三寸貫または中貫の背付(せつき)にて図の如く(原文中の小図)左右の厚さを三分位、中央部を五分位の山形に削り用いる。         
   註 以下は、「日本建築辞彙」新訂版の解説。
      三寸貫(さんずん ぬき):長さ二間、幅三寸、厚さ七分の杉材をいう。その実寸は幅一寸六分〜二寸二分、厚さ三分五厘〜五分なり。
        墨掛寸法3寸が、実寸1寸6分〜2寸2分にまで狭くなる理由が分りません。どなたかご教示を!
      背付(せ つき):丸身(まるみ)付 
      塗込貫(ぬりこみ ぬき):小舞竹を取付けるための貫にて、勿論塗隠(ぬりかくし)となるものなり。
                      「壁下地、間渡竹切込み、塗込貫、杉中貫取付け、小舞掻付け(かきつけ)」など。

軒桁:柱間六尺の時は、成一本二〜三分×幅一本一分(柱径をAとして、1.2〜1.3A×1.1A)
    二間以上持ち放しの時は、成九寸以上×幅六寸以上。
             
小屋梁(こや ばり):長さ二間の時、松丸太末口七寸以上
             長さ三間の時、松丸太末口九寸以上
飛梁(とび ばり):長さ六尺の時、末口四寸五分
            長さ九尺〜二間の時、末口六寸           
   註 長さとは梁間:支点間の距離:の意と解します。

小屋束:梁間二間又は三間の時、三寸五分角あるいは四寸角
棟木、母屋:四寸角又は四寸五分角
野隅木、谷木:四寸角
野垂木:普通は二寸角(丸身なし)
   註 二寸角:松二寸角は、八寸角十六割にして、実寸は一寸七分角程なり。長さは一間、一間半及び二間の三種あり。(「日本建築辞彙」新訂版)
広小舞:幅四寸以上五寸×厚一寸以上一寸五分
鼻隠し:幅三寸五分以上四寸×厚八分以上一寸
軒先裏板:六分板
   註 六分板については、床板の項の註参照
瓦桟(かわら ざん):普通は並小割(なみこわり)正八分×一寸
   註 並小割(なみこわり):杉の四寸角十二割または五寸角二十割なる細き木にして、長さは二間なり。
                    実寸は幅一寸、厚さ九分ほどのものなり。(「日本建築辞彙」新訂版)
野地(板):三寸貫を小間返しに打つものとする。
   註 三寸貫については、塗込貫の項の註参照。
土居葺(どいぶき):杮板(こけらいた)正寸もの(長さ八寸、厚五厘)を葺足一寸五分で葺く。
   註 土居葺(どいぶき):屋根瓦下なる薄板葺をいう。その板は厚薄により等差あり。・・・。(「日本建築辞彙」新訂版) 
      杮板(こけらいた):屋根を葺くために用いる薄板にて、長さ八寸、厚五厘内外あり。「かきいた」と称するは甚だしき誤なり。(「日本建築辞彙」新訂版)
      葺足:屋根に葺きたる瓦、石板などの下端より、その下なる瓦などの下端迄の長さ。(「日本建築辞彙」新訂版)
        要は、現われている部分の長さ。
軒唐草(のきからくさ)止木(とめぎ)」、土居土(どいつち)止木:中貫を用いる。
   註 土居土止木:葺き土・土居土のずれ落ちを止めるための桟。軒先瓦より上の位置に打つ。土留桟と同義。
      軒唐草止木:軒唐草(軒先瓦の意と解す)下には葺き土はないので瓦を掛ける瓦桟が要る。その桟の意と解す。
        唐草とは唐草模様、軒先瓦には、唐草模様付もある。
         しかし、すべての家屋が唐草模様付軒先瓦を用いたとは考えられず、軒先瓦の「通称」だったのではないか?
棟折(むなおり)押縁:三寸貫を用いる。
   註 棟折(むなおり)押縁:杮葺の棟の押え。三寸貫は前註参照。

                                          以上で「柱径の定め方」「各部木割」の項終り。

     **********************************************************

職方同士の「慣用語」と思われる「用語」が続出し、読み下しながら、「日本建築辞彙」の編纂者も当初は困惑したのではないか、といらぬ感想を抱きました。

次回は、「縁側及化粧之部」「間内之部」「外廻り下見張り之部」を紹介します。日数がかかりそうです!

追補 貫について[追補追加 27日 11.30]
「日本家屋構造」では、貫が、建物の強度を確保するための必要部材である、との解説は特にありません。
しかし、「壁は自由な存在だった」シリーズ(全編をカテゴリー「壁は自由な存在だった」で括りましたので、そこから検索できます)で触れたように、日本の建物が、いわゆる筋交いや耐力壁を設けることをせずに(開口部を自由に扱いながら)長年にわたり健在であり得たのは、柱相互を貫で縫う工法が広く普及していたからなのです。
一般の家屋では、書院造が、一つの規範とされてきた、と言えます。したがって、木割にもその影響が色濃く見られます。実際の書院造の木割についてまとめた表を、「日本家屋構造」の紹介−6で載せてあります。その表から、貫は、柱径をAとすると、幅は柱径あるいは柱径の8割 (0.8A〜1.0A)程、厚さは柱径の1/4〜1/5 (すなわち0.2A〜0.25A)程が用いられていたことが分ります。
「日本家屋構造」では、大貫、中貫、三寸貫という用語を多く見かけます。それぞれの具体的な寸法を再掲すると次のようになります。
   大 貫:長さ二間、墨掛寸法で幅4寸、厚さ1寸、実寸、幅3寸9分、厚さ8、9分程
   中 貫:長さ二間、墨掛寸法で幅3寸5分、厚さ八分、実寸、幅3寸2、3分、厚さ6分〜6分5厘程
   三寸貫:長さ二間、墨掛寸法で幅3寸、厚さ7分、実寸、幅1寸6分〜2寸2分、厚さ3分5厘〜5分
三寸貫は、小貫(こぬき)と呼ぶ地域もあるそうです。三寸貫は、柱を縫う材としては使われず、多用途の下地用の材として扱われていたように思えます。
   多分、端材の小幅板を貫の語で総称するようになっていたのかもしれません。
上記貫の項で、貫は、下等家屋(本書矩計図例にある「普通住家」が相当する、と解します)で中貫、中等家屋で大貫を使うとありますが、普通住家の柱は、総高さが十尺を超え、径実寸3寸6〜8分程ですから、中貫で厚さは、柱径の1/5弱になり、中等家屋では総高さ13尺を超えるため、柱径4寸2〜4分、大貫の厚さで柱径の1/5近辺になります。これは、ほぼ往年の木割に相当しています。いずれも、長年慣用されてきた寸法が継承されたのではないでしょうか。

現在、ヌキとして市販されている木材は、通称105mm×厚15mmですが、実寸は幅100mm×厚14mm程です。また、柱径は、総高さに関係なく通称105mm、実寸100mm程が多いようです。ゆえに、貫厚は、柱径の1/6程です。したがって、これで縫っても、往年の木割には相当せず、当然容易に撓むので、耐力も期待できません。現在の法令では、ヌキに面材を張った壁を面材耐力壁として認定していて、これを貫工法と呼ぶ方もいますが、この場合、ヌキは単なる壁下地材にすぎないことに留意する必要があります。つまり、貫工法と呼ぶのは誤りです。
1950年の建築基準法制定以来、往年の工法は疎んじられてきましたが、それとともに、本来の貫の効用・効能が無視され、その結果、市販の貫材も単なる端材と見なされるようになった、それが現状の市販ヌキ材の実態ではないでしょうか。 

この国を・・・44 : 偽装・偽計、そして 言い繕い

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11月3日(「文化の日」)付東京新聞社説、相変わらず論旨明快です。「『文一道』の精神に立つ」」、是非お読みください。[11月3日 9.30追記]


冷たい雨が上がりましたが、空気は少し湿りがちです。筑波も、今日は霞んでよく見えません。
すっかり葉を落とした柿の木が朝日に映えています。欅の黄葉はまだです。


「言葉」とは何か、あらためて問い直したくなるようなニュースが溢れています。

辞書をひいてみました。
「言葉」とは、
「その社会を構成する人びとが思想・意思・感情などを伝え合うための記号として伝統的な慣習に従って用いる音声。また、その音声による表現行為。・・」これは、「新明解国語辞典」の解釈。
人は、「言葉」を見たり聞いたりすると、その「言葉」の「普通に示すあるイメージ」を描きます。同辞書の「イメージ」の項に、「その言葉(名前)を見たり、聞いたりした人が(直ちに)頭の中に思い浮かべる、そのものの具体的な姿・形。」とある通りです。
通常、私たちが言葉を用いるときには、このイメージが自分の思いを出来うる限り正確に伝えるものであるように、意を尽くすはずです。
ところが、世の中にはそうではない方がたが居るのです。しかも、かなり増えているようです。
簡単に言えば、言葉の生み出すイメージだけを信じ込ませよう、という使い方をしたがる方がたです。

昨今世を賑わせている《メニュー誤表示》騒動などは、その最も簡便形。
メニューの記載事項もさることながら、《誤表示》という言い方もそれに該当します。「偽装ではない」、というイメージを抱かせるための使いかたに他ならないからです。
こういうのを「甘言」と言います。口先だけの言葉。用例に「甘言に釣られる」とあります。「メニュー《誤表示》」は、世の中に「甘言に釣られる」人びとが多いからこそ多発するのかもしれません。
昔からよくあるのが「商品の売り込み」文句。「メニュー《誤表示》」はその系統。

ところが、昨今、政治の世界の「用例」に同様の傾向が多く見られるように思います。
「秘密保護法」などの制定や「集団的自衛権」などについて政治家の語る言葉の数々は、その典型。「メニュー誤表示」の「思考法」と何等変りはない。
宰相が口にする《積極的平和主義》とは何ぞや?どうやら、武力行使をもって平和を維持することを意味するらしい。
こういう言葉遣いを平然とできるのは、ことによると、心身の成長期を、悪しきCMの流行った時期に過ごしたからかな、と思いたくなります。そういえば、偽装ではなく誤表示であると言い張る経営者と、時の宰相は、同じ年代のよう・・・。だからこそ、汚染水は完全にブロックしている、などという言葉を平然と使えるのでしょう。更には、福島を経験したから日本の原発は安全だという《論理》で原発売り込み行脚も行なっている・・。「責任」どうとるのだろう?

「新明解国語辞典」の「言葉」の項の用例に、「「言葉だけが踊っている」というのが載っています。「空疎な表現に終始する」ことです。我が現下の宰相は、「国民など、簡単に言葉で躍らすことができる」、と思っているのもしれません。そんなに人びとは「甘い」でしょうか?「世界」は「甘い」でしょうか?

近くの国道わきに、半分ちぎれた《日本を取り戻す》と書かれたポスターが雨ざらしになっています。昨年の選挙の時の現政権党のポスターです。幸いなことに、宰相の顔の部分は色が褪せてよく見えません。

「取り戻す」という語には、所有権を取り戻す、という意と、「以前の良い状態」に帰る、という意の両義あるようです。しかし、この惹句だけでは、詳細は不明です。しかし、最近の様態からすると、取り戻すのは、どうやら、敗戦前の日本の姿、あのときは弱肉強食で「強」のアメリカに負けた、だから「強」になりたい・・・、「力」を蓄えたい、武力行使ができるようになりたい、つまりは、「合法的に」戦争がしたい、ということらしい。「原発維持」もそのためかも・・・。

言葉は、「言い繕う」ためにあるのではありません。
私たちは、「言葉」:「その社会を構成する人びとが思想・意思・感情などを伝え合うための記号として伝統的な慣習に従って用いる音声。また、その音声による表現行為。」の本当の使い手にならなければならない、と思います。

「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介−6 : 「四 普通住家 略木割」−その2 

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今回は、「縁側及化粧之部」「間内之部」「外廻り下見張り之部」の項の紹介。原文を再掲します。



以下、註を交えながら、読み下します。
なお、文中の用語・部位名称・位置の分る縁側の矩計図を再掲します。


縁側及び化粧の部
本屋の柱径をAとして表記します。
縁桁:長さ2間のとき、
    角材の場合は、成(高さ) 1.5〜1.6A×幅 1.1A
    丸太の場合は、末口径6寸以上
縁框:長さ9尺〜2間のとき、成(高さ) 4寸〜4寸5分×幅 2寸5分〜3寸
    長さ2間〜3間のとき、成(高さ) 5寸〜6寸以上×幅 3寸5分〜4寸
縁板:幅3寸以上、4・5寸、厚7・8分位
根太:長さ3尺(=縁側幅)のとき、二寸角
   長さ4尺(=縁側幅)のとき、成(高さ) 2寸5分×幅 2寸(原文「二寸に二寸五分角」をこのように解します)
縁板:幅3寸以上4・5寸、厚7・8分位
無目:成(高さ) 1寸8分以上2寸2分、幅 0.9A
一筋鴨居:成(高さ) 2寸以上3寸、幅 2寸以上2寸2分
垂木掛: 成(高さ) 0.8A×幅 0.45A
化粧垂木:成(高さ) 1寸5〜6分以上2寸×幅 1寸4分以上1寸6〜7分
淀:幅 3寸、厚 7〜8分
広小舞:幅 4寸以上 5寸、厚1寸以上 1寸5〜6分
木小舞:成 7〜8分、但し淀の厚と同じ、幅 8分以上1寸2分
裏板(化粧天井板):杉四分板または「へぎ板」
   註 「へぎ板」、薄く削いだ板
野垂木:松三寸(成 1寸5分、厚 1寸2分くらい)又は二寸角
   註 松三寸:呼称、通称か?
野地(板):六分板又は三寸貫
   註  六分板:墨掛厚六分なる板をいう。実寸は四分五厘程(≒13.6mm)にして、幅一尺以内、長さ一間なり。(再掲)
      三寸貫(さんずん ぬき):長さ二間、幅三寸、厚さ七分の杉材をいう。その実寸は幅一寸六分〜二寸二分、厚さ三分五厘〜五分なり。(再掲)
屋根:杮葺き、鉄板葺き及び瓦葺きなど

間内の部(室内各部の木割)
本屋の柱径をAとして表記
敷居:幅は柱幅に同じ、すなわち A、成(高さ)は 2寸。ただし、縁側に付ける敷居は幅0.95A
畳寄(たたみよせ):成は敷居に同じ
鴨居:成 0.35A〜0.4A×幅 0.9A
付鴨居(つけがもい):鴨居と同じ
内法長押:成 0.8A〜 0.9A,0.95A、幅は柱より成の1/5出す
小壁吊束:0.8A角
欄間の敷居、鴨居:ともに、幅 0.65Aまたは0.7A、厚 0.25A
天井長押:成 0.6まAたは0.65A
天井回縁:成 0.5A、下端の出は、長押に同じ、すなわち柱より成の1/5出す
天井竿縁:0.3A角、または成 0.3A×幅 0.25A(原文の「三分に二分半」をこのように解しました)

以下床の間まわりの木割の説明になりますので、「構造編」で紹介した床の間についての原文を再掲します。



床柱:角柱の場合は、見付(みつき、みつけ:正面)を他の柱より少し大きくする
    丸柱の場合は、末口径を、他の柱の大きさ程度にする
床框(とこがまち):成 1A、幅 0.85A
落掛(おとしがけ):成 0.5Aまたは 0.55A、幅 0.7Aまたは 0.8A
袋戸棚及び地板:板厚 0.3A
違棚:板厚 0.2Aまたは 0.25A(=Bとする)
海老束(えびづか):√2B角
海老束の面取り:束の径の 1/7 相当を几帳面とする
海老束の位置:板の前面より束一個分ほど内側
板の出:海老束左右の面から束一個分ほど、あるいは板厚の2倍ほどでも可
筆返し:出は板木口(端部)より板厚(B)ほど、高さは 1.5B、幅は海老束の芯または内面まで(図参照)
違い棚の落差:下板下端〜上板上端=A(柱径)程度とする

   註 この木割に従えば、一定程度は「見慣れた床の間まわりの姿」になります。しかし、それがその部屋に適切であるかどうかは別問題です。
      実際は、部屋の状況に応じて任意に造られています。「任意」は、造る人の「感性」に委ねられています。

外回り、下見張りの部
以下は、再掲した矩計図を参照ください。

土台上及び敷居下の雨押(あまおさえ):幅 2寸または2寸5分、厚 1寸ぐらい、一番大貫の二つ割も可
   註 一番大貫:大貫のなかでも、赤身無節、角が端正なものをいう
         大貫:杉大貫は、長さ二間、幅四寸、厚さ一寸の墨掛なり。実寸は幅三寸九分、厚さ八、九分程なり。・・・ 
窓上の横板庇:1寸板
同所の猿頭(さるかしら):1寸に1寸4〜5分
簓子縁(ささらこぶち):普通は杉の大小割(おおこわり)正1寸×1寸2分、平縁(ひらぶち)の場合は大貫の二つ割または中貫(ちゅうぬき)の二つ割
   註 大小割:墨掛の大きさ一寸五分に一寸二分なる矩形木口の杉材にして、長さ二間なり。
      平縁:断面が矩形なる薄き押縁木をいう。これを天井及び下見に用う。
      大貫:前掲
      中貫:杉中貫は、長さ二間、幅三寸五分、厚さ八分とす。尤もこれは墨掛寸法なる故、実寸は、幅三寸二、三分、厚さ六分〜六分五厘程なり。
                                                              (以上「日本建築辞彙」新訂版より)
板:杉または檜の生小節(いきこぶし)または無節のものを用いる
   註 生節(きぶし):固く付着し居りて、形のくずれざる節をいう。
      小節(こぶし):木材に在りて、差渡し径四、五分程度の節が、長さ二間につき一方に二、三ヶ所以内あるものを、小節材または小節と略称す。
      上小節(じょうこぶし)は差渡し二、三分程迄の節が前記同様にあるものなり。        (以上「日本建築辞彙」新訂版より)                            

           以上で「普通住家略木割」の章の紹介は終りです。

     **********************************************************


当時の家屋は、現在とは異なり、小屋裏(屋根裏)、床下、壁内部などの他は、ほとんどすべての材が仕上がり後も目に触れるのが普通でしたから、部材寸法に神経を使っていました(現在でも「真壁」仕様では同様です)。
そして、仕上がり後の姿、見えがかりの姿の良し悪しは、造る人たちの感性に委ねられていた、と言ってよく、したがって、人によって結果に大きな差が生まれます。
そこで、誰がやっても一定程度の仕上がりになることを考えて生まれたのがいわゆる「木割」であった、と考えられます。要するに「安直な手引書」です。おそらく、職方の経験・知見とその伝承の集積がまとめられたものと思われます。

ただ、このような「木割」:「手引書」が生まれると、個々の職方が独自に考えることの障害になり、形式化しがちです。「こうしておけばいい」のだと思われるようになり、甚だしい場合は「こうでなければならない」とさえ思われるようになります(「法令を順守してさえいればいい」という現在の「風潮」に通じるところがあります)。「つくるにあたって、何を考えなければならないのか」という「根本的な視点」:「radicalな視点」が問われなくなる、「radicalな思考」を欠く傾向を生むのです。
   有名な木割書に「匠明」というのがあります。「建築史研究者」の中には、その指示する木割に従っていない建物は劣るものだと見なす方がたがいます。
   これなども、「radicalな思考」を欠いた例と言えるでしょう。

「木割」の示す諸数値は、あくまでも「参考値」なのです。その数値で実際に図を描き、自らの感覚でその当否を判断する・・・、そうすることで、自らの感覚を養う、その「一つの出発点」と考えるのが無難なのではないか、と私は思います。
   一度、「匠明」の木割で図を描いてみたことがあります。少なくとも私の感覚では「異様な姿」になったことを覚えています。

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次回から「小屋組」、各種「屋根」の章になります。           
        

近時雑感 : お知らせ

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秋も深まり、昨日は立冬。
今年は欅がきれいな黄葉になりません。多分、夏の高温の影響ではないかと思います。

気候の変動、寒暖や気圧の変化にともない、体調が微妙に変化することを実感しています。
脳出血発症の一つの因も気象の変動と関係あるようです。急に体を寒さにさらすと体はとっさに血流を変えて対応する。血圧を高める。それに脳内の血管が耐えられなかったのが私の場合の脳出血だったらしい。不用意は禁物のようです。体の精緻な機構には、驚くことばかり・・・。

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さて、今、ブログの「カテゴリー」の変更作業中です。
これまで書いたシリーズものへは、今までの「カテゴリー」ではアクセスしにくいと思いましたので、シリーズのタイトル(あるいはその要旨)で一式括る形に変更することにしました(単発ものは従前のままです)。
たとえば、「《在来工法》はなぜ生まれたか」というシリーズは「《在来工法》、その呼称の謂れ」で括ります。それによって、この「カテゴリー」から、このシリーズだけにアクセスできることになります(ただ、最終回から第一回へという順に並びますが・・・・、その点はご容赦)。
変更作業は半分ほど終ったところです。
今後ともお読みいただければ幸いです。

近時雑感:初霜

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今朝は霜が降りていました。寒いです。血圧も高め!要注意。

「カテゴリー」の変更作業で、変更後の点検・確認中、だいぶ前の文中に、「蛇足」という表題の、次のような一節を見つけました。そこで書いている考えは、このブログを書いている一つの「目的」でもあり、今も変りありませんので、念のため再掲します。
     ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

蛇 足

先日、このブログに対して、ある人から、「惜しげもなく展開される情報の質にいつも驚いております・・・」旨の《評》をいただきました。
どういう意味なのか判然としなかったのですが、同様のことを別の方も言っていた、との話を聞き、少し分ってきました。
つまり、「知っている、あるいは新たに知った情報」は、「独り占め」にしておけば自分を他から「差別化」できるではないか、「それなのに、あけっぴろげに出してもったいない」ということのようなのです。

私は、その昔から、「『情報』を独り占めしたがる人たち」を身のまわりでたくさん見てきました。
しかし、それで何か「いいこと」でもあるのでしょうか。「差別化」して、売り込んで何がいいのでしょう。
大体いつまでその「差別化」を維持できると考えているのでしょうね。

私が江戸時代に興味を示すのは、どうも、人びとはそういう「差別化」には興味がなかったように思えるからです。
今の世なら「専門家」と呼ばれるであろう人はたくさんいました。
しかし、皆、その「専門知識」を、自分の《地位》の維持のために使う、などということには執着していないように思えるのです。
皆がそれぞれの「知識」「知恵」を「あけっぴろげ」にしているように思えます。それこそ、流行の言葉で言えば「情報の開示」です。
開示した情報をどのように他の人が使うかは、「使う人の裁量」です。ですから、何も「独り占め」にして置く必要を感じなかったのではないか、と思います。
第一、「あけっぴろげ」にしてその人の「価値」がなくなってしまうような、そんな「専門」は「専門」でもなんでもないのです。
そして、そうだからこそ、いろいろな情報を、皆が皆、共有できたし、いいもの、わるいものを自ら判断することができたのだと思います。

これは、今の世とは格段の差があります。
今は、皆、自らの判断を停止し(自らの思考を停止し)「偉い人」の判断に依存し、「偉い人」の言いなりになってはいませんか。
「偉い人」をますます「偉く」させてしまっていませんか。それは、「法律」にまで及んでいます。「法律」が「思考の基準」であるかのようになってしまった・・・!「建築関係の法令」など、そのいい例です。

もちろん、江戸時代にも、今の世で「秘伝書」「門外不出の極意書」などと呼ばれる書き物がありました。しかし、なかみは、いわばメモです。アンチョコです。
それが世にばれたところで、どうということはありません。
それを「門外不出・・・」などと言い出したのは、近代になってからではないでしょうか。近代人の思考法の裏返しです。

少なくとも日本の近代は、「狭隘な専門」こそ「専門」だとして推し進めてきました。福沢諭吉の「一科一学」の「思想」の結果です。
つきつめれば、「惜しげもなく・・・」という「発想」の根源も、その「思想」に行き着くはずです。

私は、それぞれの人が仕入れた、そして知っている「情報」は、隈なく公開すべきだ、と考えています。
「情報」を知っている、あるいは「持っている」人が独り占めしても何の意味もない、まさに「宝の持ち腐れ」、むしろ、「公開」して共有し、論議をし、より意味のある「情報」として育ててゆくことこそ大事だと思うのです。
そして、そうなれば、世の中は今よりも数等明るくなる、と思っています。

以上、この機会に、「蛇足」を書かせていただきました。

     ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「日本家屋構造」の紹介、編集中です。もう少し時間がかかります。

「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介−7 : 「五 小屋組の種類」「六 屋根勾配」「七 屋根水取」

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今回は、「五 小屋組の種類」「六 屋根勾配」「七 屋根水取」の項を紹介します。
はじめに原文とその解説図を転載します。



   註 第八図の符号「ヒ:敷梁」は、江戸弁のシとヒの混同による誤記と思われます。
      図中に「ナ:投掛梁(なげかけばり)」の記入がありませんが、梁間四間半、梁間五間の図の梁がそれに該当します。
      なお、梁間二間の図、右側の梁間三間の図、梁間四間半の図は京呂組、左側の梁間三間の図、梁間五間の図は折置組です。
      図中の「ハ:梁挟み(はりはさみ)」 : 小屋梁から隣のへ小屋梁へ、掛け渡しある木にして、その繋ぎとなるもの。繋梁ともいう。(「日本建築辞彙」)

以下、読み下します。

五 小屋組の種類
第八図に、(梁間に応じて)各種小屋組の断面図(切断図)で示した。各部材名称は、図中に符号で記入してある。
   小屋組の総論や部材名称などについては、2012年9月ごろ載せた以下の構造編の紹介を参照ください。
     「日本家屋構造」の紹介−10
     「日本家屋構造」の紹介−11
     「日本家屋構造」の紹介−12
     「日本家屋構造」の紹介−13
     なお、他に小屋組についての補足記事が数編あります。

小屋組を考える際の注意点
1.梁間が大きく(梁行寸法が長く)束柱が長くなる場合には、二重梁または三重梁を(ほぼ)二た母屋上りで設ける。
2.飛梁(とびばり)は、小屋束の位置に、束を受ける梁がないときに設ける。
3.束相互は、束の湾曲(座屈の意と解します)を防ぐために、繋梁(つなぎばり、原文は継ぎ梁)あるいは貫(小屋貫)によって結束する。
4.小屋組は、すべて、京呂組よりも折置組を用いるべきである。
   折置組は京呂組に比べ、きわめて堅牢である。
  ただ、折置組は(天井を梁下に設けると)天井下の小壁が低くなり、また軒先に梁の木口が表れるため、町家では用いることが少ない。
   註 小壁についての解説は、小屋組を全面天井で隠すことを前提としている。
5.敷梁は、その下に柱を有する方か又は梁間の短い方に用いる(原文の「直訳」ですが、意が分りません)。
   母屋の間隔は、瓦葺きの小屋組では三尺ごとに設けるのが普通である。母屋間隔が広いと垂木の断面を大きくしなければならず不経済である。
6.第八図最下図は、与次郎組と呼び、家屋の両妻の柱を伸ばし天秤梁を差しそれに中引梁を架け渡し、その上に束を立て、左右より小屋梁=登り木を
   枘差とし、鼻栓(端栓:はなせん)又は込栓打ちとする。なお、間仕切部では、柱を建て中引梁を支える。
   与次郎組は、梁下が高く、物品を積み上げるのに都合がよいので、物置、土蔵などに用いられる。

六 屋根勾配
屋根勾配は、各地域の気候風土により緩急がある。一般に、雨雪の多い地域では急で、そうでない地域は緩い。
東京及び近県では、
瓦葺、梁間二間〜三間の場合:五寸勾配(5/10)、庇部分は、四寸〜四寸五分(4/10〜4.5/10)
瓦葺、梁間三間半〜五間程度:五寸五分(5.5/10)〜六寸勾配(6/10)
  なお、これより大きい建物では六寸五分又は七寸勾配もある。
茅葺、梁間二間〜二間半:七、八寸勾配
茅葺、梁間三間以上:九寸勾配(9/10)又は矩(かね)勾配(10/10)
寺院等大建築では、矩より何寸戻りと称し返勾配(かえしこうばい)とすることがある。
   註 返勾配:矩すなわち45度より急な勾配の呼び方。矩分を差し引いて返三寸(かえしさんずん)勾配などと残りの部分の勾配で呼ぶ呼び方。
杮(こけら)板葺、鉄板葺の場合、梁間によらず四寸〜四寸五分勾配。
駄板(だいた)葺:三寸〜三寸三分(母屋間三尺につき一尺上り)。
   註 駄板:薄い杉板。日本建築辞彙では駄板葺=杮板葺とある。
軒先化粧天井の勾配:二寸五分〜三寸五分。
板庇:三寸内外。
横板庇、雨押など:二寸〜三寸程度。

七 屋根 水取(みずとり) 第九図参照
   註 水取 : 屋根上の排水をいう。即ち屋上雨水の自然に落下する様になすことなり。
            錯雑なる屋根に於て、設計宜からざれば、水取の悪しきことあり。 (「日本建築辞彙」の解説)
住家の設計において諸室を配置すると、平面図に凹凸を生じるのはやむを得ないが、この凹凸は出来上がった後の外観の良しあしに関わる。
   註 原文は、外観を良く見せるために凹凸を奨めているようにも読める。
平面図が複雑な場合の水取の設定は、以下の手順を踏んで描く。
先ず、屋根伏図の外周を描き、各軒先の出入隅の各点より引いた45度の線と棟の線との交点までが隅棟と谷の位置となる。
棟は、屋根各面の勾配が同一である場合(振隅の場合以外)は、両軒桁線の間の中央(二分した位置)にある。
   註 振隅(ふれ ずみ) 原文の「振墨」は誤記
      勾配違いなる屋根面などが、相会して生じたる稜(かど)をいう。眞隅(ますみ)の対。 (「日本建築辞彙」の解説)
二棟の高さが異なる場合、たとえば第九図・乙のように本屋と角屋(つのや)の軒の高さが異なる場合は、図丙の角屋の桁上端からその屋根勾配の線を引き本屋の桁上端との交点を求め、その点から垂線を引き角屋桁芯からの距離:図の〇印:を伏図軒線からとり、45度の線を引く、それが本屋と角屋との屋根面のつくる隅の稜線:谷となる。
   註 角屋:本家(おもや:主家)より突出せる翼をいう。(「日本建築辞彙」より)

   註 この書の書き方では、小屋組と屋根を別途に考えられるように受け取られかねませんが、小屋組は、屋根形状が決まっていないと検討できません。

                       以上で「五 小屋組の種類」「六 屋根勾配」「七 屋根水取」の項 終り

     **********************************************************

先ずいわゆる「間取り」すなわち平面を決め、それから小屋組、屋根を考える、という設計の進め方は、現在でも普通に行われている「手順」ではないかと思いますが、この方法が、すでに明治の頃から行われていたことが分ります。
しかし、古来、建物がすべてこのような「手順」、すなわち「必要と思われる諸室の足し算で平面つまり間取りを決め、それに屋根をかける」という方法でつくられてきたわけではありません。むしろ、そういう事例は一つもない、と言ってよいでしょう。
要は、最初にあるのは「ワンルーム」、「室」は「『ワンルーム』の『分化』」の「結果」である、ということです。そして、その「結果」すなわち「室」の様態は一定とはかぎりません。場面、場合によって異なってあたりまえなのです。
別の言い方をすれば、「先ず全体を考える」、古来、これが建物づくりの起点・原点であった、ということです。
   この点については、たとえば「日本の建築技術の展開−1・・・建物の原型は住まい」でその概要を書いてあります。
   また、「建物をつくるとはどういうことか」のシリーズで、更に詳しく書きました(「カテゴリー」の「建物をつくるとはどういうことか」からアクセスできます)。


このあと、原書は、「鬼瓦の書き方」「懸魚及び蟇股」「虹梁」「舟肘木及び斗組」」など、現在普通に使われない部位、部材についての解説が続きます。
どのように紹介するのがよいか思案中です。しばらく時間をいただきます。

この国を…45 : 「戦争を知らない大人たち」

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数日前、寒冷前線が通過した後、街灯が点きはじめた頃の筑波山。この翌日初氷が張った。


「戦争を知らない子供たち」、という歌があります。作詞:北山修、作曲:杉田二郎。一時流行った「フォークソング」です。
   戦争が終わって 僕らは生まれた
   戦争を知らずに 僕らは育った
   おとなになって 歩きはじめる
   平和の歌を くちずさみながら
   僕らの名前を 覚えてほしい
   戦争を知らない 子供たちさ
   ・・・・・
なぜかこの頃この歌を思い出しています。
「戦争を知らない大人たち」の「戦争のできる国にしたい、それこそが《独立国家》だ」と考えているのではないか、と思える「行動」が横行しているからではないか、と思います。

彼ら「戦争を知らない大人たち」は、権力者の独善・独裁の論理を推し進めるための《環境づくり》を着々と進めているのではないでしょうか。

今日の東京新聞「私説・論説室から」、「『道徳』を持ち出す真意」を転載させていただきます。全く同感です。



この国を・・・46 : 「誤表示」と「偽装・偽計」の違い

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晩秋の山林風景。植林の杉檜の山の縁辺は実生の落葉広葉樹林。もうじき冬姿になります。


食品「誤表示」騒動も一段落したようです。
あの後、よく考えてみたら、〇〇エビを△△エビと称すること自体は、「誤表示」と称しても問題はない、まさしく表示が間違っている、誤りだからです。〇〇エビを△△エビと称するとき、「エビ」という「実体」は存在する。その種類、名称が「誤っている」だけの話。エビでないものをエビと称したわけではない。問題は意図的に誤表示をすること、それは明らかに偽装であり偽計なのです。
昨晩強行に採決した「秘密保護法案」、これに賛成した政党、その政党名は最初から偽装。と言ってよいでしょう。
「ジユウミンシュ」「コウメイ」「ミンナ」。これは、「俺々詐欺」に匹敵する。「俺々」なる者は、「子ども」を騙っている。これら政党名も「自由・民主」「公明(正大)」「皆」を騙っている、としか言いようがないからです。「ジユウミンシュ」「コウメイ」「ミンナ」、どれも実体は「非」自由民主、「非」公明、「非」みんな、なのです。
そうでない、と言うならば、つまり、本当に「自由・民主」であり「公明」であり「みんな」を標榜するのであれば、昨晩の採決強行は「論理的にできない」はず。
禁止を定めた法律がないから問題ない・・・などと言わないでください。
これは人としての当たり前の「品格」の問題、私はそう思います。
偽装・偽計、ここに極まれり、と言ってよい。この方がたに、「道徳」が必要だ、などと言ってほしくないものです
   野党も賛成しているから「強行ではない」と言う政権幹部が居るそうです。大したもんだよ・・・!

     **********************************************************

「『日本家屋構造』の紹介」、ただいま編集中です。もう少々時間がかかります。

「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介−8 : 「八 鬼瓦の書き方」 + 付録 ・ 「瓦葺き要説」

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「小屋組」〜「屋根勾配」〜「屋根水取」と進んできた話が、突然「鬼瓦の書き方」へと「飛躍する」のには、かなり戸惑いを覚えます。
なぜなら、その話に入る前段として、「瓦の割付け」の話が必要だからです。
例えば、軒先の淀や広小舞の正確な位置、したがって垂木の出寸法(側軒ならば、母屋の出寸法)などは、瓦の割付けに応じて決めるのが合理的だからです。
しかし、設計者の多くは、「瓦葺」と書くだけで「瓦の割付け」の図は描かないで済ませ、瓦割付けを、瓦屋さんまかせ(または大工さんと瓦屋さんまかせ)にしているのではないでしょうか。ことによると、瓦屋さんが、「任意に」決められてしまった淀あるいは広小舞の位置に合わすべく、瓦を「擦り合わせて」いるのかもしれません。
   そのあたりは、葺き終わった後、「対角線の通り」を見ると分ります。
   割付けに無理がなければ「直線」、擦り合わせて無理に収めた場合には「への字」になります。
   これは、大工さんに教わった「瓦葺きの良し悪し」の見分けかたです。


では、「日本家屋構造」で、著者はなぜ「瓦割」について触れなかったのでしょうか。
瓦の寸法に地域差があったからではないか、と私は推測しています。
今でこそ、瓦の生産地は限られていますが、近世〜近代初頭には、瓦焼きの窯は、各村や町に一か所以上あるのが普通でした。正真正銘の「地瓦」です。それゆえ、瓦の大きさは窯元ごとに異なっていたと思われます。
ただ、それゆえに、瓦の特注も可能だったのかもしれません。
そのような状況下ゆえに、一般論として「割付け法」を具体的に書き示すのは難しかったのだと思われます。
   明治初期、各地の鉄道敷設などで需要の生じた「煉瓦」の生産に関わったのも、各地に在った瓦窯です。
   私が筑波(旧桜村:現つくば市)に移住したころ、近くに煉瓦造の煙突がありました。それは廃業した瓦窯の煙突でした。
   会津・喜多方の煉瓦蔵の煉瓦焼成を担ったのも元は瓦焼成窯です。
   1960年代、そういう小瓦窯は、大量生産の窯業と大量輸送手段の隆盛により消滅します。 
   現在の瓦のJIS規格は、全国各地の地瓦を調べ、それを整理・統一して成立した、と聞いています。


そこで、今回は、原文の解説文と図を転載、原文中の用語を註記するだけとし、
付録として、かつて茨城県事務所協会主催の設計講座で作成したテキストから、「瓦葺き」の部分を抜粋して「瓦葺き要説」として載せることにいたしました。 



   註 以下は、「鬼板」、「鬼瓦」などについての「日本建築辞彙」の解説。
     

  原本では、このあと、「懸魚・蟇股」「虹梁」「舟肘木・斗組」の章が続きます。

     **********************************************************

付録 「瓦葺き要説」  
以下は、設計図作成用に、「瓦葺き・瓦割付、と木部との取合い」の要点を、諸参考書(特に、新建築社刊・坪井利広著「日本の瓦」)を基にまとめたものです。

   上の各瓦の図中には、小文字で、「釘穴」または「針金を通す穴」および「引っ掛け部」と書いてあります。

   表中の桟瓦寸法の 305mmは、1尺の換算値と思われます。他の数値も尺貫法の読替えではないでしょうか。(なお、図は筆者作成)

   各屋根形状外観図は、坪井利広著「日本の瓦」より転載。

   特記以外、図は筆者作成(以下同じ)。


 

   「幅方向」の枚数
    ?側軒の出を含めた全幅に見合う枚数を仮定し、側部の垂木幅で調整する。両袖瓦の「きき幅」が異なることに注意(205頁)。
    ?垂木間隔を一定にする場合は、全幅に見合う枚数を仮定し、母屋の出(垂木本数)、および淀からの出(205頁の b )で調整。
    「きき幅」を265mm 近辺の数値に置換えることも可能。ただし、擦り合わせがなくて済む範囲内が望ましい。
    その場合、数値を一定値にしないと対角線が直線にならない(部分的調整は禁物)。
    
    いずれの場合も何回かの試行が必要。
   「流れ方向」の枚数
    ?最上部の瓦桟の上端を野地板棟芯から 1寸(≒30mm下がり(流れ寸法)に設けると瓦上端〜野地板棟芯が約15mm(≒5分)になる。
    ?軒の出に応じた全流れ寸法に見合う枚数を仮定し、淀からの出(205頁の a )も勘案し、瓦の先端位置を決める⇒垂木の先端位置。
      先に軒の出の水平距離を決めてしまうと、無理が生じる。確認申請書類への便宜は、設計図の目的ではない!
    「きき足」を235mmより若干小さい数値に(大きいと重ねが少なくなる)置換えることも可能。
    その場合、数値を一定値にしないと対角線が直線にならない(部分的調整は禁物)。  
    いずれの場合も何回かの試行が必要。
    以上、208頁割付け例・伏図参照。 


    A、B、Cの数値を伏図と断面図で検討する。何回かの試行が必要。
    木部の寸法を先に決めてしまわないことが肝要。

近時雑感 : リズミカルということ

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7・8年ほど前、近くの雑木林から採ってきた実生の苗が、3mほどの高さに育ち、今、黄葉が見事です。
樹皮や葉がサクラに似ています。カバノキ科のミズメ(ザクラ)別名アズサではないか、と推測しています。
ミズメは家具材として重用されるようです(⇒「松本民芸家具」)。


[
この国を…46」にリンク先を追加で載せました。[12月2日 9.10、3日 9.45]

12月になりました。
一段と冷え込んできました。体がこわばります。血圧も上がります!
それでも、朝夕の犬と一緒の散歩は続けています。
朝およそ1500歩(約1km)夕方3000〜3500歩(約2〜2.5km)。私の携帯(いわゆるらくらくホン)には歩数計機能が付いているのです。
体力は戻ってきましたが、左脚の膝のあたりの「重さ」はまだ遺っています。体重の移動がスムーズにゆかないことがままあり、動きがギクシャクします。これは、傍から見れば一目瞭然なのでしょうが、自分では見えません。

ところが、そのギクシャクを一人で確認する方策があることに気付きました。
背に陽を受けた時の自分の影法師に如実にそれが表れるのです。以来、横からの陽による影も、首をひねって見るようにしています。そして、影がギクシャクしないにはどうすればよいか、いろいろと試みました。
行き着いたのは、体全体を(腰を)前に押し出すべく所作をとればよいのだ、ということでした。どうしても脚を動かせばよい、と思ってしまいすぎだったのです。その方がラクで簡単だからです。
はからずも、リハビリ中に何度も諭されたこと、すなわち、「人間の動作・所作は、体全体で為されているということを認識しなさい、部分だけで考えてはダメ、」ということを再認識することになったのでした。

そして、そのように体全体を押し出すように歩くと、これもあらためて気付いたのですが、かかとが地面を打つ音、すなわち靴音が、リズミカルになるのです。これも新鮮な気付きでした。リズミカルな足音は、歩いている本人も心地よいものです・・・!
以来、陽のないときには、極力リズミカルな足音になるべく歩くように心掛けています。
とは言うものの、脚だけでリズミカルにしようなどと思うと、これも絶対にうまくゆきません。くたびれるだけ。つまり、体全体がリズミカルに動かなければダメなのです。「小手先」の細工はダメなのです。
リズミカルなときは動きもスムーズ、そして疲れ方も少ない。これもあらためて気付いたことです。そしてまた、体調の様態は、見事にリズムの様態に反映する。つまり、体調の様子を知る物指にもなる・・・。
   そういえば、素晴らしい打楽器奏者も体全体を使っています。打楽器自体、「体の躍動・脈動」を基に誕生したのかもしれません。

発症、入院、リハビリを通じて、自分の動作・所作を(そして、すべての事象を)「観察する」ことの重要さをあらためて学んだ一年。もう僅かで終りです。夕暮れも早くなりました。

この国を・・・47 : 十二月八日

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   これまで書いたシリーズものへは、今までの「カテゴリー」ではアクセスしにくいと思いましたので、
   シリーズのタイトル(あるいはその要旨)で一式括る形に変更しました(単発ものは従前のままです)。
   ただ、最終回から第一回へという順に並びますが、その点はご容赦。



少し早く咲いた白の侘助です。ときおり、ヒヨドリが蜜を吸いにきています。


[蛇足 追記 8日 19.50]
十二月八日が何の日か、身をもって知っている人は、今70代以上の方がたのはずです。
昭和十六年十二月八日、日本が対アメリカの戦いを始めた日。
今、新聞等への投稿で、「秘密保護法案」に危惧を覚える旨書かれている方がたに70、80代の方が多いのは、「戦時中」あるいは「戦前」の様子をよく知っているからです。
私はそのとき4歳、当日のことはうっすらとしか覚えていませんが、小学校(当時、「国民学校」と称するようになっていました)に入ってから、毎年、この日に《記念式典》があったのは覚えています。
そして、敗戦。
それから、教科書を黒く塗って学び、まわりの大人たちの「変節」を見ながら大人になりました。もしかしたら、それが今の私の素地をつくったのかもしれません。
しかし、こういう「反面教師」は無用、不要です。

当然ながら、現在の政権党の方がた:戦争を知らない大人たち:が「戦時中」「戦前」を知る由もない。彼らが「戦時」で辿りつけるのは「靖国神社」だけ?
しかし、現在彼らがやろうとしていること:「取り戻す」ことの中味は、どう見ても「戦前」願望。なぜ「戻りたい」のだろうか。

今の政権は、ことあるたびに、「《有識者》に判断を任せる」旨の言を弄しています。
また、政権党の憲法改変案では、「『個人』の権利・・」と言う文言を「『人』の権利」に変えています。
そこから何が見えるか。
それは、彼らのなかに厳然として在る「認識」、すなわち、「人びと、つまり一般の国民は愚かである」、あるいは「人びと、つまり一般の国民は愚かでなければならない」、あるいはまた「人びとは『個人』であってはならない」、という「認識」の存在です。
「個々人」に、これ以上「権利」を云々されては厄介だ、だから「個」ではなく「人一般」で括る。十人十色ではなく、十人一色が好ましい・・・。
「人一般」とは、かつての《期待される人間像》!すなわち「一色に染められた《人びと》」。
「戦前」には、それがあった。《一色》に染まらない人びとを《取締り》《矯正する》こともできたではないか。だから、人びとは為政者の言うこと、やることに従い、戦争もできたのだ。
それに反し、今は何かと言えば「反対する」、だから簡単にできない。できるようにしようではないか・・・。
   折しも、意図的に奪われた個々人の権利・尊厳の「回復」に生涯をかけたマンデラ氏が亡くなられました。
   その今、地球の反対側の《先進国》で、その逆を望む人びとがいる!

では、《期待される人間像》とは、どんな「人間像」か?それは《有識者》が《評価する》・・・。
それではいったい、《有識者》とは、どういう「者」か?それも《有識者》が《決める》?
こういう「論理」を平然と使うとは、あまりにも人びと:国民を見損なっていませんか。

どうしてこんな「思考回路」になるのでしょうか。
一言で言えば、それは、彼らの、如何ともしがたい「エリート意識」に因がある、と思います。
《有識者》として「選択された」人びとも、それに甘んじているようです。かつて、そういう人たちは「御用学者」と呼ばれたものですが、今でもすすんでそうなりたがる方がたがいるようです・・・!
   御用学者:政府や有力な企業の言いなりになって真実をゆがめ、時勢の動向を見て物を言う無節操な学者。(「新明解国語辞典」)

では、「エリート意識」はなぜ生まれるのか。

それは、日本の歩んできた「近代」の様態にある、と私は考えています。

何度も書いてきたことですが、「人の上に人をつくる」ことによって、「人びとを『分別する』こと」によって、「近代化が進む」と思い込んでしまったのです。そして、そうすることに励んできてしまった・・・。
その「思い込み」は、大学などで《専門》を学べば《専門家》になれる、という「誤解」を蔓延させてきた。
たとえば、建物づくりの世界では、現場で鍛えた職方たちを、学卒の者の下に置いてきた。
「そういう現場の実際を何も分らない肩書きだけの人たち」が、建物づくりにかかわる法律をつくる・・・。
   註 このあたりのことについては、下記で書いています。[追記 9日 9.55]
     日本の「建築」教育・・・・その始まりと現在 どこで間違ったか
     「実業家」・・・・「職人」が実業家だった頃 滝大吉著『建築学講義録』について
     「実業家」たちの仕事・・・・会津・喜多方の煉瓦造建築−1
     「実業家」たちの仕事・・・・会津・喜多方の煉瓦造建築−2
     「実業家」たちの仕事・・・・会津・喜多方の煉瓦造建築−拾遺
     学問の植民地主義  《権威》の横暴

今や、各界でその気配が濃厚です。変る気配もありません。
そして、変えるべきだ、という意見・見解は《権力者》《有識者》に潰される。
   「公聴会」や「パブリック・コメント」への対処の実態で明らかです。

同様に、選挙で選ばれた以上は何をやってもいいのだ、という「誤解」が、国会議員をはじめ各議員に在る(関西のとある知事:今は市長:がその典型)。
この「誤解」に抗議すると、たとえばデモをすると、恐怖感を煽るからテロと同じだ、と言う!
十人十色の人びとが、一つにまとまって「反対・廃止」の意向を示す、おそらくこれは、彼らにとって、この上なく怖い、《想定外》の事態。その怖さを、彼は音響の大きさのせいにした・・・(音が小さければ、聞こえない振りをするでしょう・・・)。


一昨日六日、秘密保護法が強行成立してしまいました。時計の針が一歩、「戦前」側に戻ったようです。

原発再稼働や新設の動きも露骨になっています。

時計の逆回しの《願望》は更に加速しそうです。のど元過ぎれば熱さを忘れ・・、人の噂も75日・・、これが彼らの《願望》の「拠りどころ」。
だから、私たちは、決して「歴史」を忘れてはならないのです。
時計の逆回しにブレーキをかけられるのは、十人十色の私たちです。
「王様はハダカだ」と言い続けたい、と思います。あきらめは禁物です。

求利より求理を!


蛇足 

「十人十色」ということについて、だいぶ前に書いた文章から抜粋して再掲します。[8日 19.50追記]
なお、同じ趣旨を、ここでも書いています。[追加 9日 9.05]

   「・・・・十人十色ということは、ものに対する人の感覚が人によってまったく異なる、ということではない。
   むしろ、ものに対する人の感覚は人によらず共通であり、
   しかし、そこでそれぞれが捉えたものに対してのそれぞれの反応・解釈に、十人十色の違いが生まれる、と考えた方がよいだろう。
   そうだからこそ、人の世界に互いに通じる「言葉:言語」が生まれたのだ。
   けれども日常、得てして、「ものに対する率直な感覚」と、「感覚で捉えたものへの反応・解釈(簡単に言えば「好き嫌い」)」とを混同してしまいがちだ。
   そこの見極めのためには、素直にならなければならない、先入観を捨て去るようにつとめなければならないのだが、これが難しい。・・・・」

   秘密保護法案に対する「反対、廃止」の声は、人びとが、この案件について感じていることに対し、共通の見解を持った、ということです。
   誰かによって、一色に染められた、というのではないのです。法案成立に躍起になった方々には、この厳然たる事実が分らないのです。

「有識者」について書いた記事があります。「この国を・・・13」[10日 19.45追加]





「日本家屋構造・中巻:製図編」の紹介−9 : 「九 掛魚及蟇股」「十 虹梁及柱」「十一 舟肘木及び斗組」 

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   これまで書いたシリーズものへは、今までの「カテゴリー」ではアクセスしにくいと思いましたので、
   シリーズのタイトル(あるいはその要旨)で一式括る形に変更しました(単発ものは従前のままです)。
   ただ、最終回から第一回へという順に並びますが、その点はご容赦。

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今回の「掛魚及蟇股」「虹梁及柱」「舟肘木及び斗組」の章は、いずれも、「建物:住家の外観に《格》を付けるため」の、「上級に、恰好よく見せるための」諸策:「化粧」についての話です。

そこで、今回も、原文そのものの転載と、若干の註を付すだけにして、読み下しは省きます。



   註 原文では「掛魚」と表記していますが、「懸魚」と書くのが普通の表記です。
     懸魚(げぎょ)
     破風の拝下または左右に垂れたる飾(かざり)をいう。・・・(日本建築辞彙」)
     拝(おがみ)
     破風板の相会するところ。(日本建築辞彙」)
     切妻屋根の立面を描くと、破風板の拝の下部が、何となく心もとなく感じます。屈曲部が唐突に感じられるのです。
     また、木製の破風板の場合、拝下部に収縮による隙が生じることがあります。留めにした部分に生じるのと同じです。
     おそらく、そういった「不具合」の解消のために発案されたのが懸魚ではないかと推察します。
     手の込んだ懸魚を取付けると、そこに視線がゆき、「不具合」が気付かれないのです。     
     そして、上級の建物で「懸魚」が多用されたことから、「懸魚を設ける=格が高いこと」、という「形式」が一般に広まったのだろうと思います。
     蟇股(かえるまた)
     本来は、斗を支持する役を担っていた部材ですが、ここのそれは、これもあくまでも「化粧」のために付加される材です。
     これらの化粧材の懸魚、蟇股を、どのように取付けるのか、この書には説明がありません。
       これらを用いた建物の修理工事報告書などを見る機会がなく、設計したこともありませんので、私には分りません。
       どなたかご存知の方、ご教示ください。


   註 虹梁(こうりょう)
     柱間に架したる「楣(まぐさ)」の如き梁。
     その下部には「眉(まゆ)」を欠き、左右柱に接する近傍には「袖切(そできり)」を付すること普通なり。・・・(日本建築辞彙」)
     楣(まぐさ) 
     窓、入口などの上なる横木。
     眉
     虹梁または破風などの下方の繰形(くりがた)をいう。・・・(日本建築辞彙」)
     袖切        
     ・・・柱への取付き際なり。・・・(日本建築辞彙」)
     粽(ちまき)    
     粽形(ちまきがた)の略。柱の上下の弧形に窄まり居る部分。
     双盤(そうばん)        
     礎盤(そばん)のこと。おそらく、「そばん」の「読み」「音」を誤記したのではないかと思われる。
     なお、普通は、図中の「双盤」表記の材を「沓石」、「沓石」表記の材を「礎盤」と呼びます。                


   註 肘木も斗も、本来は荷を支えるための必要部材でしたが、ここのそれは、あくまでも化粧材で、荷を担う役はありません。
     この書に紹介されているのは、化粧材としての木割であり取付け法です。
     肘木、斗の荷を担う部材としての詳細は、古代の建物のつくりかたを参照してください。

     これは、西欧の建物で、実際には必要がなくなっても、柱頭にキャピタルを付けたがるのと同じ「感覚」なのでしょう。
     ときには、そうすることを《伝統》と勘違いする場面もあるようです。
     西欧の場合、その「感覚」「因習」を打破することから「近代建築」が動き始めたと言ってよいのではないでしょうか。

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次回は、これも、現在には縁が薄い章ですが、「上等家屋玄関」「起り破風造玄関」などの章の紹介になります。






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